大井川通信

大井川あたりの事ども

『「新しき村」の百年』 前田速夫 2017

武者小路実篤白樺派新しき村という言葉は、文学史の知識として頭に入ってはいた。しかし、新しき村が埼玉と宮崎に現存していて、今年創立百年を迎える、という事実には驚いた。この本は、武者小路実篤の人と思想、新しき村をつくった経緯、その後の歴史をわかりやすく描いていて、とても面白かった。とくに実篤の言葉が魅力的に紹介されており、ぜひ読んでみようという気持ちになる。

著者の両親は、戦前の新しき村の東京支部の活動を通じて知り合い、実篤夫妻の媒酌で結婚したことがさらりと触れられている。客観的な記述に徹したかったのかもしれないが、そういう個人史的な事実をていねいに書いた方が、村外会員として活動する著者の思い入れや立ち位置がもっと理解しやすくなったような気がする。

武者小路実篤の呼びかけは、とてもシンプルだ。各人それぞれが自分自身を完全に生かすことが可能であるような共同生活を実践し、それを全人類に広めよう、というわけだ。言葉のまっすぐさによって、新しい世代にも十分届くものだと思う。僕の住む大井川の近辺でも、規模こそ小さいが、それに近い思いで原田さんは村をつくっているし、地域を足場に活動するもっと若い人たちも、純粋な思いでは共通している。

しかし、本家の新しき村は、高齢化が進み、新しい参加者が途絶えたために、時代に対応した手だてが取れずに低迷した状況にあるようだ。著者は本の末尾で、難解な哲学的議論を使って村の改革を主張する人物に共感を示しつつ、新しき村の理念と将来構想を語るが、やや言葉が空回りしている印象は否めない。ポストモダンだのトポスだのという「気取った」言葉使い自体が、自分に正直なところを語る実篤の精神からそれているような気もする。

実際の人間が担う共同体は、企業体のように自己変革を繰り返して永続することは難しいし、世代的、文化的限界があって当然だと思う。実篤の言葉が若い人たちに再び広く読まれることもないだろう。ただし、実篤の精神は、それとは気づかれない形で、様々なコミュニティの活動の中に受け継がれていくと思う。