大井川通信

大井川あたりの事ども

地下鉄サリン事件23年(事件の現場5)

1995年は、日本社会にとって大きな転換点となった年だといわれているが、僕にはそれに個人的な転機が重なり忘れがたい年になった。

1月に阪神大震災が起こり、戦後の平和な社会の中で、大都市が破壊される姿を初めて目の当たりにする。世間がまだ騒然としている中、3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、さらに戦後社会への信頼(安全神話)に大きな亀裂を生じさせた。このあとマスコミは、数カ月オウム一色となる。

ところで、地下鉄サリン事件の一週間前に長男が生まれたため、長男の成長がそのままこの事件からの時間的な距離を表すことになった。長男も昨春社会人になって、巣立っている。月日が経つのは本当に早い。

(すでに90年代初頭には冷戦終結やバブルの崩壊によって、戦後の成長神話に陰りが見えたのだが、90年代後半には、大企業の倒産が相次いで、後に「失われた10年、20年」と称される社会の変化を否応なく実感することになる)

6年ほど前に一連のオウム裁判が終結したタイミングで、特別手配犯の3人が相次いで逮捕されたために、オウム事件スペシャル番組の放送や書籍の出版があった。それをきっかけにして、僕もオウム関係の本などを読み返し、勉強会で自分なりの報告をしている。今回は逃亡犯の裁判も含めて全て終了し、死刑囚の移送が行われたというニュースも伝わっている。麻原らの死刑が執行されると、その時がこの大きな事件を回顧する最後の機会となるかもしれない。

昨年読んだ東浩紀の『観光客の哲学』では、社会の数学的モデルをつかって明快に新たな連帯の戦略を示していて刺激を受けた。その中に「世間の狭さ」についての理論的な説明がある。ふだん漠然と感じてはいても、理屈の問題ではないと思っていたので、虚を突かれた感じだった。「六次の隔たり」という仮説では、わずか六つの友人関係を経由することで、人類全体にたどりつけるという。

意外なことに、オウム真理教の教祖麻原彰晃と、僕は三次の隔たりでつながっている。僕の姉の職場の親しい同僚二人が偶然通ったヨガ教室の先生が、麻原だった。姉によると、彼女たちはヨガのとてもいい先生がいると話していたらしい。二人はやがて教団の幹部になり、姉の短大の後輩でもある一人は教団ナンバー2ともいわれ、麻原の子どもを産んでいる。

そんな因縁もあったためだろうか、事件のあった夏には、帰省時にレンタカーを借りてオウム真理教の本部のあった山梨県上九一色村を訪ねている。警察官や立ち入り禁止の表示が多く武装解除されたような村で、遠く草原越しに、サリン製造工場といわれた「第七サティアン」をながめることができた。幹部の刺殺事件のあった青山の東京総本部にも行ってみたが、ものものしい警備が続いている様子だった。

当時聞いた説法の録音で、麻原は「人は死ぬ」「絶対死ぬ」という言葉を繰り返していた。そうして死を乗り越えるためには、自分たちの教団に帰依するしかない、というわけだ。現代の社会が死の問題を隠蔽し、それが経済的・技術的に処理しうる問題であるかのように語る空隙を突いているとはいえるだろう。しかしこうした宗教も、偽りの物語によって死そのものから目をそらさせるものでしかない。

宅老所よりあいの村瀬孝生さんが語る死の思想は、個人の老いの果ての死までの時間にじっくり付き合い、その人らしさを最後まで大事にする手だてを尽くすというものだ。人の死についてわかっていること、そうして死についてやるべきことはそれだけなのだと。これは、僕には人間の死に対する態度として、もっとも深遠なものであるように思える。