大井川通信

大井川あたりの事ども

「かっちぇて」のある場所

片山夫妻の主宰するたまり場「かっちぇて」を訪ねる。

長崎に仕事で行って、その空き時間を利用したのだ。前日にメールをすると、片山さんたちは運悪く不在で閉まっているとのこと。ただ、僕は、彼らの見つけた場所に興味があったので、地図とカンを頼りに坂道の街を訪ねることにした。

結論から言うと、それがとても良かった。石、石、石の存在感。石垣には、ごつごつした石が無造作に積み上げられ、石畳にも、石段にも、大ぶりで不ぞろいの石が波打っている。塀に囲まれた「かっちぇて」は、地元で「坂段」と呼ばれる斜面にある古びた要塞のようだ。見上げると石が支える街は、はるか頭上まで続いている。子どもたちは、足の裏で石の傾きを感じながら、この「かっちぇて」に駆け上ってくるのだろう。なんだか、ちょっとうらやましくもある。

僕が演劇ワークショップで通った北九州市の枝光も坂の街だけれども、谷の深さも坂の長さも路地の複雑さも、こちらがはるかにまさっている。なによりその深い傾斜を大量の石を積み上げることで克服した力技がきわだっている。街を見下ろす神社やお寺の境内も、石を積み上げた神殿のようだ。

坂段の下の道にある町屋カフェ「つむぎや」に入って、ゆっくり美味しいランチをいただく。店主は片山夫妻ともお付き合いがあって、二人についての話を聞くこともできた。

片山さんは、「子どもたちは、どんな場所でも、なにもなくても無駄に遊ぶ」と話す。それが本来の彼らの姿だと。しかし、それは大人も同じだろう。僕も、この坂段の街で数時間、何の目的もなく、無駄に楽しむことができた。

FBを見ると、片山さんは、「かっちぇて」で使っている住居の元の主が画家であることを知り、彼の絵画の里帰りの展覧会を実現したようだ。本来の活動とは一見無関係のようだけれども、土地や家の歴史につながろうという感覚はとても貴重だと思う。子どもの遊び場づくりという目的をもった活動に限れば、彼らよりもっと上手に効率的にこなすグループはあるのかもしれない。「無駄」や「寄り道」にていねいに向き合う姿勢が、彼ら独自の魅力なのだと思う。