大井川通信

大井川あたりの事ども

渡辺豆腐店のおじさん

実家に帰省したときには、早朝周囲を散歩する。「本業」の大井川歩きより、はるかに熱心になる。もともと機会が少ない上に、事情があって、いつまで帰省できるかわからない。そうなると、目を皿のようにして、風景の中に、記憶の痕跡をみつけようとする。

バス通り沿いの古い木造の豆腐屋さんの前を通ると、おじさんが店先に立って、通りを眺めている。大井川歩きで鍛えた気軽さで、声をかけてみる。以前なら、目を伏せて通り過ぎていただろう。

おじさんは、昨年お店をやめたそうだ。小さな店構えは、僕が物心ついた頃からまったく変わっていない。ここ数十年、周囲の住宅街が、ピカピカに豪華になっていく中で、ずっと時が止まったように昔の姿を守っている。

子どもの頃、買い物に行くと、水槽の底からまな板で豆腐の四角いかたまりをすくい取って、その場で切り分けてくれた。自転車の後ろに豆腐の箱をのせて走る姿を、遊んでいる街角でよく見かけた。

当時おじさんは、いかにも職人といった無口な風貌だったが、今はニコニコしたおじいさんになっていて昔の面影はない。同級生だった息子さんのことや、おなじクラブの顧問の先生の名前を出して、いくらか話をする。

豆腐屋は朝が早いから、長年の習慣で、店先に顔を出しているのかもしれない。僕が知っているかぎりでも、50年以上、ここでお店をしてきたのだから。