大井川通信

大井川あたりの事ども

面影がない

その時H君に声をかけたのは、故郷に対する「一期一会」のような思いと、なにより、見知らぬ人と交流する経験のたまものだと思う。H君は、帰省のとき、それまでも一、二度見かけていた。小、中学生の同級生で、頭髪が薄くなっている以外、子どもの時の表情そのままだったので、街ゆく人々から浮き上がって、すぐに彼とわかった。

「Hさんですか」彼は、振り向いてポカンとしている。「同級生の〇〇ですよ」それでも、彼から当惑の表情は消えない。彼は、次に、そらで何かを思い出すように、こうつぶやく。「〇〇△△君・・・▢▢大学に行った・・・」そう、そうと僕は勇んで答える。「面影がない・・」

そのあと少し会話して別れたけれども、H君から、懐かしそうな感情が湧き出す瞬間はついになかった。僕は、少し途方に暮れたような気持になった。自分は年相応の風貌で、特別に老けたりはしていないつもりだった。しかし中三でクラスで一番小さかった身長は、その後180センチ近くまで伸びた。体格だけでなく、容貌の変化もかなり大きかったのかもしれない。

考えてみれば、子どもの時の「自分」の記憶なんてかなりあいまいになっており、当時の写真や日記を見ても、それが今のこの自分と同じ人間である、という揺るがぬ確信があるわけではない。他人から、お前はあのときの「自分」ではない、と否定されてしまったら、過去の「自分」なんて錯覚ではないかと思えてくる。

他人から見捨てられ、頼りの記憶すら失ってしまったら、この自分はどうなるのだろうか。過去から切り離されて今だけを生きる、一種の動物のようなものになってしまうのだろうか。

いやそうではない、と僕は思う。最後に残るのは、環境の記憶、一歩一歩地面を踏みしめることで作った土地の記憶だ。子ども時代の「自分」に関する記憶があいまいになった今でも、故郷の街並みを歩くとき、しっかりとしたきずながあることに気づく。この土地とのきずなこそ、自分らしさの核になるものだ。

「宅老所よりあい」の村瀬孝生さんは、お年寄りの時間と空間(の見当識)は、住み慣れた自宅に血肉化していると言っている。またお年寄りが道に迷い、「徘徊」などと言われてしまうのも、なじみの街並みが変わった結果だと言う。だから、その人らしさを大切にするために、少しでも長く自宅で生活してもらうようにするのだと。

 僕がふるさとの「面影」を忘れないうちは、僕自身の「面影」を失うことはない、とひとまず安心しておこうか。