大井川通信

大井川あたりの事ども

『張込み』 松本清張 1955

新潮文庫の短編集『張込み』を読む。1950年代後半に発表された推理小説を収めたものだが、今から見ると、全体的に、小説としては構成が平凡だったり、トリックや謎解きが不自然だったりして、やや魅力に乏しく思える。

それでは何が面白いのかというと、終戦後間もない時代の世相と、そこを生きる様々な人間が、広角レンズのような視野の広さで描かれているところだ。

『一年半まて』では、ダムの建設現場を渡り歩く労働者を相手に商売する、したたかな保険勧誘員の女性が登場する。『顔』には、映画スターの名声を手にしかけた男のあせりが描かれる。『声』でカギとなるのは、電話交換手がもつ特技だ。『地方紙を買う女』では、ソ連に抑留されている夫の帰国が事件のきっかけとなる。『鬼畜」は、印刷所の渡り職人が主人公だ。『投影』には、地方政治の醜態とタブロイド新聞の記者の活躍が描かれる。『カルネアデスの舟板』は、戦後に節操なく転向する歴史学者の生態がえぐられる。

表題作は、犯罪者を追って地方に出張する刑事の話だが、総じてどの話にも、今とは比較にならないくらい大きな、東京と地方との距離や格差が見え隠れしている。

ここには、階層の上下を問わず、また老若男女を問わず、様々な人間がリアルに描き分けられる。また、今では存在していない職業や、歴史的な知識なしに理解できない出来事があちこちに顔をのぞかせる。この間口の広さの背後には、作者の旺盛な好奇心と優れた観察眼があるのだと思う。