大井川通信

大井川あたりの事ども

ある美術家の生涯

ある美術家の回顧展を公立美術館に観に行く。

1960年代末には、既存の表現や制度を「粉砕」して、グループで「ハプニング」と称する過激な実践を繰り返すが、逮捕され、孤立する。この時代は、ビラやポスターや写真等の資料展示で、いわゆる作品はない。

15年の「沈黙」のあと、80年代末には、銀一色の絵画作品を発表しはじめる。初めは、大きな平面に銀色の絵の具を流し込んだだけの「表現」とは遠い所から出発して、数年ごとのまとまった連作によって、少しづつ、作品は意図的な表情をもつようになり、色彩や具体的モチーフが導入されるようになる。

00年代に入ると、色や形を描いて「表現」するという傾向は顕著となるが、シリーズ名を冠した連作を描きながら、シリーズの交代によって作風を変えていく、というスタイルは変わらずに現在にいたる。

作者の60年にわたる表現活動の熱量が伝わる興味深い美術展だった。小部屋に展示された「ハプニング」時代の資料が、いかにもその時代を映していて面白く、また、コンクリート打ち放しの壁面のような表情の銀一色に輝く作品に囲まれた展示室は、ぼおっと光の粒子のカスミがかかったような空間となっていて美しい。その延長に置かれると、具体的なモチーフを回復し、絵画を再生していくシリーズ群が、個々の作品の魅力はともあれ、強い説得力をもつ。

素人なりに、受けとめた事柄が二つ。一つは、今の時代の表現が、形式的なものの徹底とその交代という「形式」に終始しており、まさに「形式」に取りつかれているということだ。路上でのパフォーマンスや美術展への乱入などの「粉砕」活動も、銀一色の絵画の連作も、それが「形式」への拝跪である点で等価に見える。

もう一つは、美術をめぐる言葉のありようだ。展示のキャプションは、作者によるシリーズの継ぎ目を、言葉をつくして滑らかに説明しようとする。この回顧展という企画自体が、美術家の生涯の表現活動を素材にして、それを一貫した文脈に落とし込む言葉の力によるものといえる気がする。これは、ある程度、美術家の自意識を代弁するもので、美術家と共犯関係にあるといえなくもない。

しかし、と思う。この作品にまといつく器用な言葉のぬめぬめとしたうっとおしさは何だろうか、と。そこには批評ばかりか、ほがらかな肯定も不在である。