これまた、今頃になってビデオ録画した『シン・ゴジラ』(2016)を観た。十分面白く、楽しめる作品だった。冷静になれば、生物にすぎないゴジラを、あれほど強力な存在に描くのは無理があるし、そのわりに無防備に活動停止してしまうのはどうかと思う。しかし、ゴジラを巨大に見せる映像の技術は格段に進歩していて、その巨大さという皮膚感覚が、ゴジラへの恐怖とともに、その途方もない能力に対する説得力を与えているようだ。
何かを巨大に感じる、というメカニズムは意外と複雑なのかもしれない。その感覚は、そのものの物理的な大きさを必ずしも反映しない場合がある。見慣れた高層ビル群は、巨大さをほとんど感じない。先日、東京スカイツリーに初めて上ったが、間近に見上げる塔の姿は、やはり異様なほど巨大だった。
実家近くの東京郊外には、少し歩くと、古くからの農家のお屋敷があって、昔ほどではないが、防風林のケヤキの大木が残っている。記憶を頼りに訪ねると、期待通りのケヤキが一本立っていて、その巨木の高さには目を見張った。しかし高いといっても、せいぜい30メートルくらいのものだろう。
おそらく、巨大さとは、通常のスケールをはみ出して、既存の尺度が役に立たなくなるモノを前にしたときの、その茫然自失の感覚なのだと思う。