大井川通信

大井川あたりの事ども

文学的半生

小説を読む読書会で、事前に提出する課題のなかに「文学に興味を持っていなかったら、あなたの人生や性格は、今とどのように違っていたと思いますか」という質問があった。

参加者は、読書好きの若い人が多くて、文学のおかげで、視野が広くなったり、考えたり、感じたりする力を得たというふうな答えが多かった。文学につかりすぎて、他の人生がかんがえられない、という意見も。

僕は、どう書いていいかわからずに、以下のような答えでお茶を濁した。ただ、この質問をめぐるやり取りの中で、あらためて自分が、文学や思想の言葉がもつ力をたいして信じていないことに気づいた。たぶん、日常を耕すためのスキとかクワとかの道具ぐらいに思っているのだろう。

 

・子どもの頃から、空想癖があって、現実の設定を変えたりして、一人で空想を楽しむ。父親は文学好きなくせに、子どもが小説を読むことを好まなかったから、中学の頃、漱石の文庫本を机に隠していた。
・大学受験勉強中の息抜きは、漱石の『猫』と宇野浩二の『芥川龍之介』。大学に入って初めて購入した全集は、詩人の『丸山薫全集』。しかし、すぐに哲学、思想の面白さを知るようになり、大学の後半以降、小説をほとんど読まなくなる。
・就職後は、思想や批評の言葉が、実社会で無力なことに愕然とする。以後、実生活とは別に評論を読むのを楽しむ、という二重生活を送るようになる。50歳くらいになって、ようやくその二つをつなぐことができるようになる。すると、なぜか小説やアニメや演劇なども、楽しめるようになった。
・悔恨は深いが、どの部分をどう変えたら、別のルートをたどれたのか、想像は難しい。