大井川通信

大井川あたりの事ども

みたび、柄谷行人のこと

最初に就職した会社を3年で辞めて東京に帰ってきてから、とある塾の常勤講師として働くことになった。腰掛のつもりが居心地がよく、結局3年勤めることになる。ある程度時間に余裕があり、将来の目標も定まっていなかったので、講演会やシンポジウムの類にはよく顔を出した。その中で、柄谷行人の講演を初めて聞くことができた。

当時、柄谷には、海外の先端的な思想を理解して、複雑な逆説を駆使する特別に頭のいい思想家、というイメージがあったと思うのだが、実際に話を聞いてみると、それとはだいぶ違っていた。冷酷で神経質な印象は予想どおりでも、言葉はなめらかに進まず、どこかたどたどしい。記憶力と言葉の連射を誇る優秀な学者たちの語りとは、一線を画するものだった。柄谷はどこかで、自分より優秀な人間は多くいたのだが皆消えてしまった、ということを言っていたが、それは本当なのだろうと思う。

1987年から89年にかけて、たしか五回ほど柄谷の講演を聞いている。今思えば、批評家として脂の乗り切っていた時期で、どの講演も、新鮮な驚きと興奮を与えてくれるものだった。早稲田祭で聞いた坂口安吾論や、草月会館で開催された季刊『思潮』創刊記念シンポジウムでの固有名論など、忘れがたい。

あれから30年。その後柄谷行人はたくさんの仕事を続け、その一部を読んで刺激を受けることはあったけれど、僕にとっては、80年代の彼の輝きに及ぶことはなかった。