大井川通信

大井川あたりの事ども

軽口をたたく

書き言葉としては自分の中に入っている言葉だが、どう読むのかは自信がなかった。「かるくち」とわかってもまるで耳になじみがない。話し言葉としては、おそらく死語に近いと思う。ギャグや冗談という言葉がそれに代わって、なんの不自由もないからだろう。

ところで、自分は「軽口をたたく」のが好きな人間である。気を許している一部の人間関係をのぞいては、たえず冗談を言って人を笑わすことをねらっている。それはこどもの時からだが、今でも職場でなんとか若い人たちを笑わそうとしている自分に気づく。ひょっとしたら、人間関係の全エネルギーの2割くらいをそれに消費しているかもしれない。

ある時、仕事が忙しくて、笑いをあきらめて仕事にだけ集中せざるをえないときがあった。すると仕事がどんどんこなせる。周りを見ると、職場でギャグ一つ言わない人がいくらでもいる。みんなはこんなに楽をして仕事をしているのかと気づいた、というエピソードを、またまた笑い話のネタにしてしまう、という次第。

ある社会学者の説によると、人間関係とは、お互いに大小の荷重をかけ合う複雑なネットワークだけれども、「笑い」は、その荷重を一気にゼロにしてしまう驚異のメカニズムなのだという。職場における上下関係や、お互いの貸し借りの関係の呪縛を一気に解消してしまうのが、笑いだ。ひとしきり笑ったあと、また従来の関係が即座に立ち上がるわけだが、そこにはいくぶん緩みやすき間が生じているだろう。

以前、ある教員が、どんな子どもを育てたいか、という話をしたとき、自ら学ぶ子ども、みたいな一般的な目標とあわせて、「ユーモアのある子ども」を付け加えたのが印象に残っている。そういう目標はあまり聞いたことがない。その人はとてもユーモアのある人だった。笑いの効用をよく知っていたのだと思う。