大井川通信

大井川あたりの事ども

ザシキワラシのいる家

我が家には、現在、ザシキワラシがいる。いるかもしれない、とか、いるみたいだね、とかいうことでなくて、あたりまえの事実として、いる。

今朝も、妻が寝過ごしそうになったときに、寝室に誰かがばたばたと駆け込んできて、またばたばたと出ていったので、起こしてもらえたという。小さな男の子の足だけが見えたそうだ。

僕は、東京郊外の住宅街で核家族で育った。祖父母の思い出もほとんどない。さらに、戦中世代の父は、非合理的なものを忌み嫌った。妻と暮らして良かったと思えるのは、彼女が、僕には縁遠かった前近代的な世界にどっぷりとつかっているところだ。

博多の下町に生まれて、同居の祖母から可愛がられて育った妻は、僕からみると、信心深く、また迷信や言霊を気にしすぎているように思えた。しかし、それは、近代化される以前の人々が、長い時間をかけてつちかってきた知恵を受け継いでいるということでもある。息子とも、わざわざフィールドワークに出かけなくても、お母さんの姿を観察していれば、民俗学の研究ができると笑いあったことがあった。

こんな話をすると、妻は、私はみえないものを大切にしているのだ、と得意そうに言う。モノには魂が宿っているのだから、洗濯機も掃除機も古くなった時には、きれいにふいて、今までありがとうございました、といって捨てなければならない、と。