大井川通信

大井川あたりの事ども

廣松渉の生家跡再訪

10年ほど前に、廣松渉の小学校時代について聞き取りをした。上司が廣松と同郷で、たまたま上司の母親が小学校の同級生だったのだ。その時のエピソードは「哲学者廣松渉の少年時代」というタイトルで、ブログに載せている。

昨年末に上司のお母様が83歳で亡くなられて、初盆のお参りに伺った。お供え物といっしょに、青年時代の廣松渉の顔写真を表紙に載せた文庫本(小林敏明の廣松論)をそっと仏前に供えた。

帰りがけ、10年前案内してもらった生家跡(厳密には少年期を暮らした家)を、一人で訪ねてみる。あらためて、クリーク(水路)の多さが目をひく。西鉄蒲池駅のホームも、クリークをまたいでいるのだ。

そのクリークもきれいに整備をされ、明るい水郷地帯には、新しい住宅も立ち並んでいる。その中で蒲生(かもう)町の廣松の生家跡付近だけは、こんもりと薄暗い路地のまま取り残されていることに気づく。廣松姓の馬喰(ばくろう)を業とする家が集まっており、古い馬小屋や空き地につながれた馬の姿が目立つ。

前回教えてもらった生家跡は、もう記憶があいまいになっている。思い切って、クリークに面した古い家の網戸越しに声をかけてみる。老夫婦が顔を出して、水たまりのような水路の向こうの藪を指さして、そこに家があったと教えてくれた。地元出身の名士のことは、ばくぜんとながら意識しているようだった。

13日は盆の入り。廣松渉の魂も、近くに戻っているかもしれない。帰り、10年前と同じく廣松宝来堂のお饅頭を買う。40度近い炎天下に汗を流しながら、少年廣松が歩いた道を蒲池駅まで歩く。

 

 

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