大井川通信

大井川あたりの事ども

『労働者のための漫画の描き方教室』 川崎昌平 2018

とてつもない奇書、というか快著である。今までに読んだどの本にも似ていない。似ているとしたら、白っぽい菓子箱か、弁当箱だろうか。

まず、題名。60年代の左翼運動の時代のにおいがする。しかし、著者はまるで党派的でない。原発反対の人間ならば、むしろ反対の立場に身をおけ、という。搾取を訴えるより感謝を、とも。いずれも漫画を描くためには、という限定がつくが。

80年代だったら、この題名は、おそらく斜に構えた冗談だろう。しかし、著者は大まじめだ。文字通り「労働者」のために、表現手段としてなぜ「漫画」なのか、どのような「漫画」を描くべきなのか、どのように描き続け、どう発表したらいいのか、具体的に懇切丁寧に、しかし大胆に焦点化して、書き尽くしている。これ以上、看板にふさわしい内容はないだろう。

しかし、これはなんなのか。半分くらいまで読んでも、いっこうに漫画にたどりつかない。250頁すぎてはじめて登場する基礎技術が、円を描くこと、である。ところどころさしはさまれる、冗談みたいにスカスカで、面白い・面白くない以前とも思えるような漫画が、本文と並行して、最後まで同じ調子で続いていく。これが、東京芸大の大学院を卒業した著者の本気の漫画であることの驚き。おそらく、漫画に関する本として見た場合に、これほど読者の期待を裏切る本はないのではないか。

にもかかわらず、これは実にすぐれた、美しい本だ。見事なまでに。

人は働かないと食べていけない。そうして、とてつもなく働かされる。働く自分とは別の自分を表現することができたら、それがどんなに救いとなるか、どんなに喜びとなるか、うすうす、あるいははっきりとわかっていても、多くの人たちは、どうしようもなく泣き寝入りしている。そうせざるをえない。

ほとんどすべての表現作品や表現理論は、そうした泣き寝入りとは別の場所で、そんなことを気づきもしないように、表現したり思考したりする特権をぞんぶんに享受する人たちによってつくられている。しかし、著者は否応なく働く現場にいる。そうして、働くことの片隅で表現することの意味と、その方法論を、自らの体験を通して、ほとんど独力で開拓しようとしているのだ。

論述は、おどろくほどていねいで、他の思想家からの引用などは一切ない。しかし、本当に新しいことを考えようとしている本の常として、簡単に頭に入るような内容ではない。ただ大切なことが書かれていることだけは、伝わってくる。

最後まで読み通して、著者の志の高さに涙を流してしまった。圧巻。