大井川通信

大井川あたりの事ども

50銭の思い出

ピカピカの50銭銀貨を手に入れて、うれしかったものだから、妻に自慢してみる。銀貨を手に取った妻は、こんな思い出を話し出す。初めて聞く話。

子どもの頃、博多の下町には、いろんなものをリアカーで売りに来た。オキュウトや豆、豆腐、それにさお竹や金魚など。昭和40年代初めの頃だ。(同じ時期の東京郊外には、そんな光景はなかった)

妻の祖母は東北出身で、びっくりするくらい大きなリボンを頭につけた女学生時代の写真に驚いた記憶があるという。たぶん大正の終わり頃に撮ったものだろう。

今から四半世紀前に亡くなる直前には、だいぶ呆けていたそうだ。「50銭をやるからオキュウトを買っておいで」と何度も頼まれたらしい。50銭がないのはもちろん、オキュウトももう売りにこないから戸惑うしかなかった。

銀貨は、人々の間で、小さな期待や喜びとともに受け渡されてきただろう。本物を手にする人に、思ってもみない感情や記憶を呼び起こす力がある。ストックブックに入れっぱなしはもったいない。次の読書会では、林芙美子のファンに、小説に出てくる「白か金」の実物といって見せてあげよう。