大井川通信

大井川あたりの事ども

基礎研究と体験活動

今年も、日本人のノーベル賞受賞者が誕生した。ひと昔前は、手放しで賞賛して、あげくにはアジアの諸国への優越感を振り回すような論調まであったが、ずいぶん冷静な受け止め方に変わってきたように思う。現在の受賞は、かつての研究の成果なのであり、目先の効果や利益にとらわれて、基礎的な研究をおろそかにするようになった現状では、今後ノーベル賞級の研究成果は生み出せないのではないか。研究の現場を知る人たちから、現状への批判の声があがるようになった。

教育の世界でも、エビデンスというカタカナ言葉が流行語になり、目先の効果を数値化して見せることが、正義となる風潮がはびこっている。数値化しにくい教育の分野については、その重要性が訴えられても、制度面、予算面では後退を余儀なくされている。全国でも、老朽化により自然体験施設が減少していると聞く。

あるいは、自然体験活動が豊富な子どもは学力が高い、というような本末転倒な調査結果がもっともらしく取り上げられたりする。学力の高い子どもを育てるために、手段として自然体験を取り入れようとでもいうことなのだろうか。

いうまでもなく、自然とのかかわりをはじめとする体験のすそ野のうえに、様々な人間的な活動の高みが生み出されるのだろう。基礎的な体験のベースが崩壊したり、空洞化したりしている現状は、どんな大人でも直観的に気づいていることだ。その直観がないがしろにされながら、一方で、「学習の成果にお小遣いをあげたほうが学習効果があがるかどうか」などという「研究」がまかり通っている現状は悲しい。