大井川通信

大井川あたりの事ども

『絶滅の人類史』 更科功 2018

今、かなり売れている新書らしい。確かにくだけた比喩を使うなどして、かなりわかりやすく、目新しい学説を紹介している。しかし、実際には複雑な人類の進化史を踏まえているだけに、すんなり読み通せる内容ではなかった。

子どもの頃、図書館で人類史の本を借り出して熱心に読んだ記憶がある。学校の歴史の授業が、アウストラロピテクスをはじめとする原人の話から始まるせいかもしれない。当時は人類の誕生は100万年前と覚えさせられたが、最新の学説ではおよそ700万年前ということになるらしい。

僕は文系人間なので、自然科学の客観的研究によって人間の本質がわかるという議論には抵抗がある。自分という場所において成立している現象を、内省においてとらえるのが本筋という意識があるのだろう。

しかしほかならぬ人間というものが、どういう進化の過程を通って今に至ったのか、という科学の目覚ましい研究成果を目の当たりにすると、この知識を抜きにして語られてきた人間論が底の浅いもののように思えてしまう。科学の成果は暫定的な仮説であるとはいえ、現時点でわかっていることについては、やはり知るべきなのだ。

とりあえず印象に残った部分をいくつか。人類の祖先が、おそらく木登りが下手で暮らしやすい森林を追われたため、疎林や草原でなんとか生き延びたものだったこと。(やはり始まりは神に選ばれたなんてことではなく、弱さや劣等なのだ)

直立二足歩行を始めたことによって、空いた両手での食物運搬が可能になり、それが集団生活ではまれな一夫一婦制の形成を促し、高度に協力的な社会関係をつくることができたこと。一夫一婦制のために同種内での争いが減少し、平和的な種となった。戦争が始まったのは、農耕が行われるようになった1万年前以降である。(人間が平和への強い希求をもちながら背反する振る舞いをすることについて示唆的だ)

700万年前に直立二足歩行を始めた人類の脳が大きくなり始めたのは250万年前であり、その頃石器を作り始めて、高カロリーの肉を食べられるようになったからである。消化のよい肉食は、食事にかかる時間を短縮し、暇になった時間で大きくなった脳を使い、コミュニケーションを発達させることができた。(進化が想像以上におそろしく緩慢であり、偶然の要因がからみつつ進行することに驚かされる)

人類には、かつて様々な種が存在していて、それらは何らかの理由で絶滅していること。(人類の滅亡などというと、地球の滅亡や世界の終焉みたいなイメージで語られるが、人類も生物である以上、何らかの事情で子孫を残せなくなった場合には、絶滅危惧種に陥ることは当たり前のことなのだ)