大井川通信

大井川あたりの事ども

メタ・コミュニティのような話

昔勤めていたのは、塾長が大学生の頃に仲間と始めたまだ若い塾だった。僕が入社した頃は、塾長は30歳を過ぎたくらいだったが、東京郊外に5教室ばかりあって、さらに教室を増やそうとしていた。教室ごとに専任講師が2名ほどと学生バイトの講師が多くいたと思う。

職員もほとんどが20代で、仲が良く、学生のような付き合いをしていた。教室によっては、人望のある教室長を中心に、学生バイトも含めて、〇〇ファミリーと言えるようなゆるい結束が存在した。そんな彼らの会話で、かっこうの標的になっていたのが塾長や、彼の盟友の経営陣だった。たしかに塾長は、少し変わった人間で、いろいろな問題行動も目立った。

僕は心情的には、ファミリーの一員だったが、彼らが塾長の悪口ばかり言っていることには、少し違和感があった。塾長が起業して、塾をつくったからこそ、僕も含めて、この場所で出会えたのではないか。

やがて塾長への不満がたまって、職員たちで労働組合を立ち上げた。労働組織の全国一般の知恵を借り、自分たちで手分けをして勉強し、ホテルで結成大会をしたり、塾長への通告を行ったりした。得難い経験をしたと思うが、それもまた、塾長の企業と経営のおかげではある。

内田樹がどこかでこんなことを書いていた。親の一番大切な役割は、こんなひどい人間といっしょにいたら自分はダメになるから是が非でも出ていく、と子どもに思わせることであると。これを読んで、ずいぶん子育てに気が楽になった。こうして、世代が更新し、子どもたちは自分の人生を歩み始める。

家族以外の人間関係や組織の役割も、これと似たところがあるのかもしれない。欠落を通じて、未来への出口を示すこと。

30年ぶりに会った塾の同僚によると、塾は、進学塾の統合の波に乗り遅れたものの、16教室でがんばっているそうだ。塾長も元気とのこと。ひそかにエールをおくろう。