大井川通信

大井川あたりの事ども

天邪鬼と女郎蜘蛛

ポーの短編小説のなかに、「天邪鬼」(the perverse)を人間の本質とみる視点があることを書いた。われわれは、そうしてはいけないから、かえってそれをしてしまうのだ。ポーは小動物をいじめてしまうことを、その実例にあげている。

僕も自然観察者を気取りながら、ときどき子供じみた衝動で、小さな生き物へ意地悪をしてしまうことがある。とくにクモに関しては。

僕が昼休みに散歩する森の中には、たくさんのジョロウグモが巣を作って獲物を待ち構えている。小道を歩いていて突然顔にクモの巣がかかって、びっくりすることがある。自然と木の枝をもってクモの巣を払いながら歩くようになった。

子どもの頃、昆虫が大好きだった時でさえ、ジョロウグモのビジュアルは苦手だった。胴体も八本の足も黄色と黒の縞模様で、下腹は真っ赤に染まっている。いわゆる警戒色に血の色が加わっているのだ。何か本能的に受け付けない感じがする。チョウやバッタなどの平和な虫をまちぶせして捉える生活ぶりも、彼らには何の罪もないのだが、やはり印象が悪かった。

しかし毎日のようにたくさんのジョロウグモを見ていると、しだいに彼らの姿にも慣れてきて、天邪鬼の本性から、こんなことを思いついた。クモが巣の上を自由に歩けるのは、粘り気のない糸の部分を選んでいるからだそうだ。それなら、クモを自分の巣の糸で獲物のように捕獲してしまえば、抜け出せないものだろうか。セミスズメバチなど大型の虫でさえ脱出できないワナなのだ。

さっそく枝の先につけたジョロウグモを、他の個体の巣に押しつけて、身体の自由を奪うようにしてみる。初めはさすがに巧みにかわしていたものの、やがてクモの糸でぐるぐる巻きに身体を縛り上げられた状態になった。頼みの長い足も折りたたまれて全く動かせない。これではどうにもならないだろうと思いつつ、クモの巻き付いた枝を目立つ木の幹に立てかけて、その場を離れた。

30分ばかり後にのぞいてみると、案の定、クモはまだそこに捕まっている。しかしよく見るとすでに足の自由を取り戻しているようだ。すると、そこからは割と簡単にするりとワナを抜けてしまった。脱出マジックを成功させた魔術師のように。

ベトベトのクモの巣の真中で生活しているのだから、実際にはいろいろなアクシデントがあるはずだ。長い進化の過程で、万が一の非常事態にも対応できる技を身に着けていたのか、と感心する。