大井川通信

大井川あたりの事ども

寝具にくるまって

体調がすぐれなくて、寝具にくるまって休んでいる時に、ふとこんなことを考えた。

たとえば、圧倒的な権力や経済力を誇っている人物にしたって、あるいは、何かの分野で突出した才能を発揮して名声を勝ち得ている人間にしたって、一日に一度は、こうして寝具の中で、孤独や煩悶と向き合っているのだろう。

現世でどれだけの権勢を誇っても、死んでしまったら畳一枚分の埋葬の土地が必要なだけだ、という教訓話を聞いたことがあるが、そもそも入浴したり、寝たりというプライベートな場所は畳一枚分で間に合う。そこでは、だれでも自分が身体に閉ざされた存在であることに気づき、そこで苦しんだり、逆に安らったりしているのだろう。

そんなふうに考えると、羨望や反発や隔絶の気分を感じてしまいがちな、見ず知らずの彼らに対しても、どこか親しみの感情がわいてくるような気がする。

この世界は、我々人類の身体が見ている夢なのだろう。あのミソサザイのように一人一人の身体はちょっとしたアクシデントで命を失くしてしまう。すべての人類の身体が機能を失えば、この世界もそれで終わる。地球の滅亡を待つまでもない。