大井川通信

大井川あたりの事ども

麻酔の恐怖(続き)

足首の金具をはずす手術のあとは、部分麻酔が十分に効いていたから、前回の時のような激痛は免れた。しかし、その代わり少し不思議な体験をした。

手術した右足は、ふくらはぎから足首まで包帯におおわれて、足指の付け根くらいから上だけが露出している。その部分にまったく感覚がないから、手で触ると不思議な感じだったのだ。生温かいけれども、血の通った人間の足先というより、妙なつくりもののような気持ちの悪さ。この違和感の由来はなんだろう。

自分の足でなければ、他人の足ということになる。しかし「他人の足」ならば、さわってもこんな違和感はないはずだ。そう、あたたかい死体、つまり「死人の足」を触ってしまった感じなのだ。

他人の足なら、それに触れることで、敏感にくすぐったく感じたりする主体が存在する。そこに反応がある。もっとも寝ていたりして反応がない場合もあるだろう。それとどう違うのか。

他人の足なら、視覚的にそこに他人の身体がつながっている。身体から切り離された足先が転がっていたら、それを誰かの足として受け止めることなどできないだろう。手術後の僕にとって、事態は全く一緒だったのだ。その切断された足先が、地面に転がっているのではなくて、なぜかたまたま自分の右足を伸ばした先に存在する、というだけの違い。

足先だけなって、そこに宿る主体など存在しない。僕にとって、それはもうバラバラ殺人の死体の一部でしかなかったわけだ。

ところで、この死体の一部が命を取り戻す過程は、我ながらとても感動的で、厳粛なものだった。

まず、足の裏のどこか一点の感覚細胞と連絡がとれて、一本の細い経路を通じて交信が可能になる瞬間が訪れる。すると、一点、また一点というように、そういう交信のつながりが次々に増えていく感じがする。そうした線のつながりがやがて束になって、足先までが自分の身体の一部として無理なく感じることができるようになったのだ。