大井川通信

大井川あたりの事ども

夢の記憶

★以前に書いた夢のノートから

★夢の世界は、あいまいで不定形なイメージの群に、「誰」「どこ」「何」が明確な自分の経験として立ち向かうところに生じる、ということか。

 

夢に学生時代のあまり親しくもない知人が出てきたときに、起き抜けの自分には、その知人がどうにも懐かしくてしようがなく感じられたことがあった。冷静になれば彼を懐かしがる理由はない。

あとで心理学の本を読んだときに、この懐かしさの感覚が、実際の対象と分離して現れるという病理があることを知った。デジャブというのも、真新しい経験に、過去にいったん経験したという感覚、つまり「懐かしい」という感覚がはりついたものだ。

夢の中の登場人物も舞台も、実物とはかけ離れていながら、しかしなぜかそれが「誰か」「どこか」はわかっている場合が多い。このように夢の中の世界は、ひどく屈折した形ではあれ、僕自身の過去を指さしている。

様々な過去の出来事や人物たちが、秩序や順番を無視して立ち現れ、自分たちを受け入れるように迫ってくる。そして夢の中の自分も、それを実際の出来事やふるまいと同様に受け入れ、夢を思いだすときにも、それを自分自身の経験として指さすことにためらいはしない。