大井川通信

大井川あたりの事ども

営業所のち美術館

僕は学校を出てから、ある生命保険会社に就職した。配属先はある地方都市の支店で、管轄の地域にいくつかの営業所をもっていた。

業界の中堅どころで働いてみて初めて気づくのは、やはり業界大手の会社との、規模や知名度や商品の内容についての格差である。どこか引け目を感じながら働くことになる。

しかし全国には、そんな中堅生保のシェアが大手生保を超えるような地域がまれにあった。生命保険は営業員さんの数で営業力が決まるから、たまたまそこで大手を凌駕する営業網をつくることができたのだろう。九州でも、石仏で有名なある地域がそうで、その街の名前は、僕の会社ではあこがれの聖なる土地を示すものだった。

そこほどではなかったが、僕の勤める支店内では、某営業所が規模が大きく、唯一大手と張り合う力と活気を持っていた。だから新入社員の僕は、まっさきにそこに見習いで手伝いに行かされた。各班に分かれてテーブルにつく30名以上の営業員さんの席と名前を事前に暗記して、初めての朝礼の時にいきなりそれを披露し喝采を浴びた記憶がある。

それから35年が経った。僕が3年で辞めたあと、その保険会社はバブル崩壊のあおりを受けて倒産したが、某営業所の建物は、主を変えて残っているようだった。それが数年前、市立の美術館として寄贈され公開されるようになったのだ。

二階の展示室に入ると、横山大観をはじめとする日本画の大家の作品が並んでいる。窓をふさがれて薄暗い部屋には静謐な気配が支配している。しかしかつてここで、大勢の営業員さんたちがばたばた歩き回っていたのだ。大学を出たての僕が、やみくもに大声をはりあげてもいたのだ。その事実を消去することはできない。

誰もいない展示室で、僕は一瞬、あの喧噪を耳にしたような気がした。