大井川通信

大井川あたりの事ども

尾畠春夫さんのこと

山口県周防大島で行方不明の二歳児を単身発見したことから名をあげた「スーパーボランティア」尾畠さんのインタビューを読んだ。

尾畠さんの経歴や考え方に触れると、かろうじて理解や共感はできるけれども、及び難いというか、別の世界の人間であり出来事であるという気がする。「ボランティア」という言葉は、尾畠さんを一般の人々に広く伝える上では役にたったが、かえって彼の本質を押し隠してしまっているような気がする。

尾畠さんの経歴をみてみよう。

昭和14年(1939年)に大分県の下駄を製造販売する家に生まれる。小学校5年生で母親が亡くなり、農家に奉公に出される。農作業の手伝いでほとんど中学にはいっていない。中学卒業後別府の魚屋で3年間奉公。このとき姉の忠告で魚屋の店を持つことを決め、10年での独立を計画する。この目的のために下関でフグの勉強のために3年間働き、商売の勉強をしようと本場関西の魚屋で4年間勤める。この時「男の修行場」(歓楽街?)で生き方を学ぶ。

予定の10年間魚の修行したが、開店資金を稼ぐために、オリンピック景気にわく東京で3年間とび職の仕事をする。別府に戻って別府の魚屋時代に心に決めていた相手と結婚し、ミキサー運転の仕事を1年したあと待望の魚屋を開業したのが昭和43年(1968年)29歳の時だった。

15歳から50年働いたらやりたいことをすると決めていたので、平成16年(2004年)65歳の時に店を閉める。長年の夢である徒歩での日本縦断、九州一周、四国遍路、北アルプス55山単独縦走に挑戦する。また、商売でお世話になった世間様に対して恩返しをしたいとボランティアを始める。車で寝泊まりして自前で生活し、対価を受け取らない。貯金はなく、5万5千円の年金だけで生活費をまかなう。マスコミで注目されたのはこのあたりの事だ。

尾畠さんの行動を貫いているのは、徹底した互酬性、恩返しの原理だ。ボランティアは長年魚を買ってくれた世間への恩返し。東北や広島の被災地に駆けつけたのは、日本縦断の時、各地域で親切にもてなしてくれた知人の安否を気遣ってのことだ。文字通り、一宿一飯の恩に報いようというわけである。これは古くから庶民の生活にしみ込んだ原理だろう。

尾畠さんにはもう一つの行動原理がある。夢や目標をかかげ、そのために計画し、こつこつと努力し、実現するという原理だ。ボランティアも、そうした挑戦の一環なのである。尾畠さんの自宅には、自分を律して鼓舞するようなたくさんの標語が張られている。こちらは、戦後的な原理という気がする。高度成長によって確実に豊かになり、庶民の夢の実現の後押しをした戦後社会がその背景にあるだろう。

互酬原理と挑戦原理とのアマルガムである尾畠さんは、吉本隆明が想定する「大衆の原像」、つまり自分の生活や子育ての内側に自足する存在、とはだいぶイメージが違う。しかし、戦後社会を生き抜いた庶民の一つの見事な典型であり、理想像である気がする。市場原理が浸透し、戦後的な価値観が崩れた現代には、もう彼のような人間が現れる余地はないだろうが。

78歳の尾畠さんは、ボランティアをする体力が無くなったら、夜間の定時制高校に通い勉強するのが夢だという。彼のことだから、きっとそれも見事に実現してしまうにちがいない。

 ※記事作成後に、参照したインタビュー本が出版に際し尾畠さんとトラブルがあったことを知ったので、書名はふせた。