大井川通信

大井川あたりの事ども

『キッチン』その後

『キッチン』の読書会のあと、「真顔でケンカをうっているみたいだった」と言う人がいた。この作品が好きで課題図書に押した人の意見を全否定しているみたいに取られたのだろう。自分としては根拠を示して批判したつもりだが、反省してみれば、そういう発想自体、いつのまにか評論を読む読書会のスタイルに毒されていたのだった。

小説の読書会なんだから、今までそうしてきたように、自分の感性に基づいて、前向きに面白い読みを作っていかないといけない。どうしてダメなのか、という問いではいけなかったのだ。

ただ、なぜ人物やストーリーに厚みがなく、ばらばらの場面の寄せ集めのような小説が評価されたのか、それだけはやはり気になる。僕の文学の師匠である安部さんに尋ねると、あの時代にはそれが新しいと思えたのだし、彼女のような新人が待望されていたのだ、と。また、極端で目新しい設定が、外国で評価された原因ではないか。

なるほど。しかし、最後に残った疑問は、読書会に参加する小説好きの人たちが、この小説の世界に抵抗なく入っていける、という事実である。僕より年配の参加者には抵抗感が伺えたし、若い人の中にも批判的だったり一定の留保をつける人もいた。しかし、全体からすると少数派だったのだ。

おそらく、極端な初期設定を無理なく受け入れ、断片化された部分を想像力で自由につないで読む、という新しい読解の作法が、一般的になってきているのではないだろうか。だとしたら、小説を読みつけない旧時代人の僕が、かつての読解法にしがみついて受けつけなかったのも、やむなしか。