大井川通信

大井川あたりの事ども

大井炭鉱跡とミロク様に詣でる

ひろちゃんの娘さんと待ち合わせて、大井炭鉱跡を案内する。昼前には小雨がぱらついて、怪しい雲行きだ。一人では心細くて、とても荒れた里山には入れないだろう。

娘さんはひろちゃんから鍛えられているだけあって、荒れ果てた竹やぶも急な斜面もスタスタと進んで、あっという間に引き離される。遅れた案内人を気にするそぶりを見せないのは、なるほど自由人にして単独者であるひろちゃんの正当継承者だ。

途中道の脇に、赤茶色の水たまりが広がっている。炭鉱近くではよく見かける風景だ。昔小学校で赤茶けた体操着を着ていたら、大井の子どもだと言われたと娘さんが教えてくれる。大井の水は金気(かなけ)が多いので、井戸水で洗濯しても白くならないという。

道は一年前よりさらに荒れている。斜坑の坑口は、枯れた竹が折り重なって、近くに来てもそれとわからない。さすがの娘さんも、坑口をのぞいて「こわい」という言葉を口にする。ふさがれているとはいえ、山中に出現する大穴はやはり不気味だ。

今回は、坑口に水がたまっていない。台形の木の枠が三つ残っているが、その先がふさいであるのがよく見える。天井の岩盤から見ると、やはりかなりの急角度で掘り下げているようだ。持ってきた小瓶の酒を坑口にまいて、山の神へ献上する。

いったん里山の入口に戻ってから、別の山道をたどって、こんどは中腹のミロク様を目指す。村の共有林を過ぎると、明るい峰の上にポツンとミロク様がある。平凡な石のホコラだが、なぜ神社としてカウントされずに、村社への移設や合祀を免れて、200年以上山中にあるのかは謎である。

僕は、戦後ある時期まで大井の禅寺秀円寺の住職が毎年ここでお経をあげていたという聞き取りにヒントがあると考えている。昭和初めの寺社調査には秀円寺に弥勒堂があると書かれているが、今はない。その弥勒堂は、ひょっとしたら、このミロク様のことではないか。江戸中期に流行したミロク信仰との関係も気になる。しかしそこまでで、調査は数年ほったらかしになっていた。

ひろちゃんの娘さんは、沖縄に住んでいたことがあるから、沖縄のニライカナイやミルク神の名前を出して、地元にミロク信仰の痕跡があるのを喜んでくれた。そこまでわかってくれる同志の存在はありがたい。