大井川通信

大井川あたりの事ども

『チョコレートをたべた さかな』 みやざきひろかず 1989

この絵本を手に入れた時のことは、よく覚えている。家の近所の大きなスーパーの一階にある本屋さんの絵本コーナーに平積みになっていたのだ。ずいぶん前に閉店してしまったお店だけれども、絵本には強いこだわりのある本屋さんだったと思う。

単色の水彩画に添えられた短い言葉。30頁に満たないシンプルなストーリー。しかし読み終えると、なんとも言えない柔らかで深い感情がひろがっていく。しかし、この感情を説明するのは難しい。そう思いながら15年も読んできたので、そろそろ拙い注釈をつけてみることにしたい。(今年で刊行されて30年になることに驚く)

 

 きげんよく暮らしている魚がいる。自然の中を自由に泳ぎ回り、釣り針や網をくぐりぬけて。ところがあるとき、小さな男の子が水辺に落としたチョコレートのカケラを口にしてから、その美味しい味が忘れられずに暮らしに不満をもつようになる。やがて六年目の冬に「僕」は死ぬ。

どのくらい時が過ぎたのか、気がつくと「僕」はチョコレートの好きな男の子になっている。あるとき、チョコレートのカケラを落としてしまい、それを水辺の魚が食べたことに「僕」は気づかなかった。

 

これだけの話だ。しかし、ここには、簡単にはまとめきれないような人生の真理が、省かれることなく書き込まれている。

暮らしに自足して生きることと、希望を夢見ながら生きること。この二重の生き方を人間は免れない。そんな人生の中断として、死が不条理に訪れる。

ここまでだと、個人の死によって閉ざされる人生には、それ以上救いがないことになる。作者は、チョコレートを食べたいという魚の願いがチョコレート好きの少年になって実ったり、少年の無意識の振る舞いが魚に希望を与えたりという因果を潜ませることで、個の人生が開かれる可能性を示そうとする。

そして何より、魚から少年に受け渡される「僕」の視点が示唆するものが魅力的だ。少年には魚の記憶など一切ないようだから、生まれ変わりというわけではない。この世界の中心に開かれた「僕」という場所の不思議(あるいは奇跡)を、それは示しているかのようだ。