大井川通信

大井川あたりの事ども

手品の思い出(悟空の玉)

あきっぽい僕が、一番長く続けてきた趣味は、手品なのではないかと思う。本格的に習ったことも、大きな舞台で演じたこともないが、ずいぶん長く細々と演じ続けてきた。

はじめの記憶。小学生の低学年の頃だろうか、学校の先生をしていた叔母が、コップと玉を使う手品を見せてくれたことがある。僕はその手品が不思議でたまらなかった。

小さなスポンジの玉を三つ、テーブルに並べる。次に、それぞれの玉の前に、コップを三つふせて置く。真中の玉を取り上げて、真中のコップの底にのせる。両端のコップを順番に真中のコップにかぶせると、コップはぴったりと三段重ねになる。

トントン。三段重ねのコップの底をたたいてから、全体を持ち上げる。するとそこには、コップの中に閉じ込められているはずの玉が落ちている。まるで丈夫なコップの底を通り抜けたみたいに。

これは中国で古くからある手品で、老舗の手品メーカー「テンヨー」では『悟空の玉』として販売されていて、僕もあとになって手に入れた。特別な仕掛けがあるわけではなく、ただ事前の仕込みと一定の手順によって、見ている人には不思議な現象が次々に起きるように見える、シンプルで優れた手品だ。

僕が手品に魅せられたのは、その夜の叔母さんの実演のおかげなのは間違いない。小学生の頃には、お小遣いをもらうと、隣町の立川のデパートに手品道具を買いにいった。まずは家族に見せて、手品好きな友だち同士で見せ合ったりもした。お正月に親戚が集まったときなどには、年少のいとこたちの前で嬉々として演じていたと思う。

以前、父親の葬儀の時に、久しぶりにいとこたちと再会したときにも、僕のことで話題に上ったのは、手品だった。もしかしたら僕の手品は、思いがけない人に強い印象を与えているのかもしれない。僕をきっかけにして、手品を始めたという人もいるのかもしれない。

そういえば、手品に夢中で小学校の成績が振るわなかったとき、父親から「お前は手品師になるつもりなのか」とひどく怒られたことがあった。結局、手品師になるどころか、何一つ徹底することがない中途半端な人生を過ごしてしまったけれど、自分が手品の使い手として誰かに記憶されていると想像するのは、なんだかうれしい。