大井川通信

大井川あたりの事ども

詩集「水駅」 荒川洋治 1975

今週の詩人、みたいな感じで、とりあえず荒川洋治(1949-)の詩集を持ち歩いてみた。わずか七編の処女詩集「娼婦論」(1971)が、やはり、たまらなくいい。とくに冒頭の「キルギス錐情」「諸島論」「ソフィア補填」と続く言葉の連なりは、神品としか思えない。若いころに衝撃の出会いをしたからだろうか。

おそらく、たんねんに読めば、どこかでこれらに匹敵する作品に出会えるはずだ。そう思って、まず第二詩集に目を通してみた。アンソロジーなどでも代表詩として取り上げられる「見附のみどりに」はいい。

「いまわたしは、埼玉銀行新宿支店の白金のひかりをついてあるいている。ビルの破音。消えやすいその飛沫。口語の時代はさむい。葉陰のあのぬくもりを尾けてひとたび、打ちでてみようか見附に。」(「見附のみどりに」部分)

他では「水の音」という作品が気になって、心を奪われた。何度も読み込めば、「娼婦論」なみの愛唱詩になるかもしれない。

「少女は湖の底に、好きだった買いものよりも少し長い時間をかけて、しずんでいく。水面にはあらためて青い血がひろがる。やがて地図のうえににじんでくる。/ひとつの夜仕事であろうか。目をさました所員は、塗りおえたばかりの地図を再び灯下にひきだす。湖水の青い均衡はかすかにこわれ、いくらか肌の色をおびている」(「水の音」部分)

なんだろう、「娼婦論」から引き続くこれらの詩群は。ヨーロッパ辺境の風景。それをたどる、古語と現代語が入り混じって、壊れもののような不均衡な文体。危うくも、ひたすら美しい比喩。地図を眺めて貧しい空想に遊ぶ、作者のやせ細った自意識。それらの要素の不可思議な混淆において、まぎれもなく詩が成立する。唐突に。