以前から、岡本太郎が気になっていた。彼の画集や評論を持っているし、展覧会も見たし、青山の記念館にも行った。ガチャポンの小さな作品模型もいくつかあるはずだ。しかし、彼が好きとは、表立っていいにくい。
この本を読むと、万博と太陽の塔の成功によって、岡本太郎が国民的な人気者になったことがわかる。僕が出会ったのは、その姿なのだ。後になって、彼が戦前、パリ大学でマルセル・モースから学んだり、戦後、花田清輝らとアバンギャルド運動をけん引したりしたことを知ったが、コマーシャルやバラエティでのあの特異なキャラクターは、簡単には頭から離れない。
太陽の塔は、実際に見ると、細く高い塔のイメージではなく、ずっと大きく太く、堂々とした姿だった。これも本によれば、この塔のそもそもの役割が、万博のテーマ展示のためのパビリオンだったことによる。地下の展示スペースから、太陽の塔が頭を突き出す「大屋根」の空中展示スペースへとつなぐ縦長の展示室なのであって、原生動物から、恐竜、類人猿までがとりつく「生命の樹」を囲う建物なのだ。樹形に合わせて、建物は円錐に似た形をとる。
観客は、生命の樹を見ながらエレベータで上昇し、塔の片腕を抜けて大屋根へと運ばれ、もう一方の腕は非常階段となる。塔の形状は、無駄のない合理的といっていいものなのだ。塔に表情を与えるのは、取り付けられたタイプの違う三つの顔である。それぞれ金属、プラスチック、陶板タイルという材料をつかっている。
リニューアルされた塔の内部は、原色の異空間にうねる樹木に、無数の異形の生物が取りついて、まるで岡本太郎の絵画作品を見るようだった。生命の樹は太陽の塔の血流であり臓器である、という表現がこの本にあるが、塔の外観の格別の存在感は、コンクリートの表皮の下にある、生物さながらの繊細で充実した内部組織によるのだろう。
著者は生前の岡本太郎の共同作業者で、様々なエピソードが取り上げられていて興味深いが、絶賛のトーンがやや鼻につく。ないものねだりを言えば、もう少し距離をとった批評があればいいと思う。
内部展示は、岡本太郎の作品として見れば、たしかに色あせることはないだろう。しかし、今現在、生命の歴史を一般の人々に向けて表現するとしたら、映像を使ってはるかにコンパクトで効果的に行うことができるはずだ。大がかりな模造品による見世物風の手法は、もはや歴史的な価値しかないかもしれない。しかし、それゆえ保存する必要があるのだと思う。
ところで、現地で気になったことがある。この巨大で見事な「神像」に向かって、スマホやカメラを向けることよりもふさわしい所作があるのではないか。おそらく、それは祈ることだ。しかし、ここは表向き宗教施設ではない。だから僕も手をあわせることができずに、せいぜいベンチでスケッチの鉛筆を走らせるしかなかった。