大井川通信

大井川あたりの事ども

その短くはない生涯を短く語る

旧玉乃井旅館での「おはなし会」で、安部文範さんの話を聞いた。タイトルには、安部さんらしいユーモアがこめられているが、こうした微妙なユーモアの感覚は、おそらく世代限定のものなのだろう。

安部さんは、僕よりほぼ10歳年長だ。1960年代、70年代は、日本社会にとって大きな変動の時期にあたる。見田宗介の本を読んでいたら、世界史的、人類史的な意味からも屈折点であり、「人間の歴史の中で、一回限りの特別な一時期であった」という指摘があった。巨視的に過ぎるような視点からではあるが。

だから、この時代を経験しているかいないかは、とても重要だ。この疾風怒濤の時代を迎えた年齢による経験の差も、驚くほど大きなものになる。安部さんとの付き合いは20年にもなるが、遠い異世代の人のような感覚がある。僕よりさらに10年若い人は、この屈折点以降の経験しかもたない。この点でいえば、それ以降の世代には、どこか共通の手触りが感じられる。

ただし、激動の時代を潜り抜けた安部さんの生活信条から育まれた言葉は、やわらかく伸びやかで、若い人たちも魅了していた。数種類の紅茶を自ら淹れながらのリラックスした会の雰囲気も、安部さんならではの「高貴な」スタイルだ。

安部さんはレジュメの最後に、さりげなくこんな言葉を置いている。こうした内に秘めた静かなヒロイズムに、僕などはしびれてしまうが、これも世代限定のものなのかもしれない。

「かつては貧しく無名であった若者が、今は貧しく無名のまま老いて死んでいこうとしている、それもまたよし、なのだろう」