大井川通信

大井川あたりの事ども

『滅びゆく武蔵野』 桜井正信 1971

今日届いた古書。武蔵野の古刹や風物を写した本で、モノクロの写真は重々しく、解説も文学的で重厚だ。思い出深い本だが、市立図書館で借りていたもので、自分の本ではなかった。

僕は、中学生の頃、地元の寺を訪ね歩くのが好きだった。多摩地区だから有名寺院が多いわけではない。五万分の一の地図で、お寺マークのある場所をチェックして、無名の寺を自転車で回っていた記憶もある。自宅を中心に「世界」を体験するという大井川歩きの発想は、僕には根っからのものだったかもしれない。

当時持っていた寺歩きのガイドブックは二冊あって、一冊は小ぶりで見開きの二ページの写真と文で多摩地区のお寺や史跡を解説したもの。数多くの寺院の紹介があって、小さな白黒写真から実際の寺院を想像し、期待をふくらませて見学に出かけたものだった。父親から譲られた本だと思う。もう一冊は、自分で買った本で、歩く武蔵野、というようなタイトルだった。しかし、これだけの情報では、古書にたどりつけない。やむなく書名が印象に残っていた図書館の本をネットで注文したのだが、意外なほど多くのページが記憶に焼き付いていた。

蔵書整理のメカニズムについては以前説明したが、それにしてもあれほど夢中になった寺歩きの本を何で手放してしまったのか。おそらく、大学に入ってから出会った哲学や思想の抽象的な論理のインパクトが強く、それ以前の具体的で個別的なモノの世界が、一気に古びてしまったのだろうと思う。 今はむしろ、モノの感触にこそ新鮮さを感じる。

ところで、この本には、魅力的な古建築の写真が多く載せられている。国宝の正福寺千体地蔵堂について「大空に羽ばたく姿」という形容が解説文にある。専門の学者は使わない情緒的な表現だけれども、僕は長く、禅宗様建築の本質はそこにあると思ってきた。少年時代に出会ったこの本が、気づきを与えてくれたのだと思い返す。