大井川通信

大井川あたりの事ども

鳥にも年齢がある

子どもの頃持っていた理科学習漫画『鳥の博物館』を古書で手に入れて、パラパラとめくっている時、「ながいきくらべ」というページがあった。トビが120年生きるなんてことが真顔で書かれていてびっくりしたが、さすがにそんなことはない。それでも、実際には20年から30年くらいは生きる個体がいることを知った。

鳥好きでも、鳥の年齢を意識することはなかった。まずは種類。オスとメスに目立った違いがある種類では性別。図鑑などでは若鳥の特徴を示している種類もあるが、なかなかそこまでの区別はできない。

鳥に年齢があるということは、一羽一羽に生きてきた年月と、経験と暮らしの歴史があるということだ。種類の奥にある個体を、そんなふうにつかまえて思いやったことはなかった。そういう見方をすると、毎日のように出会うトビにしても、まったく違った存在に見えてくる。

僕が今の家に越してきたのは、22年前のことだ。里山の開発途上で周囲には空き地も多く、トビが家の近くまで飛んできて、笛のような鳴き声を響かせていた。長男が二歳。次男はまだ生まれていなかった。あれから本当にいろいろのことがあって、子どもたちは社会人となり、長男は家を出て行った。僕も妻も両親を見送った。

あの時、上空を舞って家を見下ろしていたトビが、この同じ土地で毎日を暮らしながら、まだ生きているということだ。通勤途中で今朝見かけたトビが、あのときのトビなのかもしれない。人間とは比べものにならない優れた視力で、僕たちの暮らしや地域の変化を見続けていることだろう。

この20年でもずいぶん開発が進み、トビも暮らしづらくなっているはずだ。教育の真の目的は、人間同志の自由の相互承認だと言い切る教育学者がいるが、それはずいぶんと狭い了見だと思う。トビには、人間的な意味での欲望や自由はない。しかし彼らを隣人として認め、彼らとともに暮らす流儀は、かつても今も、そして未来も変わらずに大切なものであるにちがいない。