大井川通信

大井川あたりの事ども

いつも外を見とんしゃった

妻は博多の呉服町という下町の生まれだ。かつてミシン屋をしていた実家はもう取り壊されてしまったが、近所には間口の狭い商家が立て込み、大小のお寺が並んでいる。そんな町に育ったせいか、博多弁のなまりは強いほうだと思う。おかげで僕も影響されて、家では中途半端な博多弁もどきを話すようになった。

だから、もう博多弁については面食らうことはないけれども、「何々しとんしゃる」という言い方については、以前から少し不思議に思ってきた。

からして「何々していらっしゃる」に近く、「何々している」の敬語や丁寧語として使っているのはまちがいない。本人に確認しても、その通りだという。しかし、妻は、時には自分の子どもに対しても、この言い方を使うのだ。

標準語の語感では、自分の子どもに対して、「何々していらっしゃる」と言うことは考えられないだろう。しかし、僕には、この博多弁に現れた親子の関係性が、むしろ好ましく、微笑ましく思えていた。子どもをちょっとからかいつつも、愛おしむようなニュアンスが感じられるからだ。

三男のつもりで育てていた愛猫ハチが死んで、どうしても生前のハチの様子が夫婦の話題になる。家の中だけで暮らしていたハチは、窓から外の景色を眺めるのが好きだった。中でもリビングの出窓がお気に入りで、専用の座布団を置いてある。「そこに座って、いつも外を見とんしゃった」と繰り返し妻がいう。

先日、ちょうどハチと同じくらいの大きさの猫のぬいぐるみを妻が買ってきて、出窓の座布団の上に置いた。妻はハチによく似ているというが、表情などはしょせんぬいぐるみだ。けれど、僕も、似ている、似ているといって喜んだ。

すると、こんどはこちらに背中を向けて、お座りさせる。それは外を眺めるハチの姿そのままとなった。