大井川通信

大井川あたりの事ども

『山のトムさん』 石井桃子 1957

僕は子どもの頃、1968年に福音館書店で再刊された本を持っていた。今手元にあるのは、自分の子育ての時に書店で見つけて買っておいたものだ。猫を飼ってみて、あらためて読み返してみた。

やはり、これは猫を飼わないとわからない本だと思った。子どもの時に読んだはずだが、役に立たなかったネズミ捕りの仕組み図などは覚えていても、かんじんのストーリーはあまり頭に入ってなかったのだ。

若い時に読んでわからなかった本が、大人になってから読み返すとまるで違って面白く読める、という話はよく聞く。その原因は、成長や成熟といった抽象的な能力の進化みたいなものと結び付けられがちだが、おそらく、特定の経験をしたかどうか、という具体的な条件にかかわっているような気がする。たとえば、子ども時代の生き生きとした経験を踏まえて面白く読めた本が、その経験が遠く過ぎ去ってしまった大人にはまるで面白くない、ということもあるのだから。

物語の舞台は、終戦直後に東京から人々が疎開してきた東北の山里。そこで開墾生活を送る家族が、ネズミに悩まされて飼い始めた猫のトムと交流する姿が描かれている。ほとんど作者石井桃子(1907-2008)自身の体験に基づく話らしい。

いつの時代にも、いろいろな生活条件の中で、人間と猫とは、お互いの領分を持ちながら、家族としてのかけがえのない関係を育んできたのだな、とつくづく思う。出版の翌年に、トムは亡くなってしまったようだが、この本は、トムの子猫時代の活躍が中心に描かれている。後書きを読むと、作者がそれを書きとめておいた思いに触れて、涙が誘われる。

疎開してきた「家族」は、作者とその甥の男の子、作者の女友だちと娘さんの4人だ。女性二人で、開墾も畑仕事も田植えも、畜産も薪運びも、近所の子どもたちの洋裁教室も、何もかも自分たちでやる。もちろん子どもたちもそれを手伝う。今から振り返ると、この家族構成も、疎開地での一からの開墾生活も、敗戦直後という特異な時代の、まったく特異な経験であるように思えるだろう。

しかし、子どもの僕がこの本を読んだ頃には、両親をはじめ大人たちは、誰もが戦争と敗戦をくぐり抜けて来た人たちだった。こうした話を、身近な大人たちの経験として素直に受け入れていた感じがする。1968年に、作者は20年前を振り返ってこう述べている。

「なんと、私たちーもちろん、トムもまじえてーは、あのころ、一生懸命、毎日を生きていたことよ、と思います」