大井川通信

大井川あたりの事ども

『老いと記憶』 増本康平 2018

年齢を重ねると、確かにある時期から、記憶力の低下と呼ぶしかない事態に直面することが多くなる。著者は、認知心理学の研究に基づいて、実際に高齢者向けの講演を続けてきたというだけあって、この問題についてツボを心得た解説を行っている。専門的な議論を正確に理解できたわけではないが、自分の体験に即して、なるほどと納得できたところをメモしておこう。

これ自体正確な記憶ではないはずだが、40代後半くらいから、自分の記憶の衰えに気づくことが多くなった気がする。

一つは、記憶の出し入れについての失調だ。携帯を置いた場所が思い出せないなどの日常の物忘れの他、長く使っていた暗唱番号が不意に思い出せなくなったり、「一過性全健忘」という症状に見舞われたことさえあった。この本の解説によると、「短期記憶・ワーキングメモリ」は加齢による低下が顕著にみられるというから、仕方のないところなのだろう。

もう一つは、同じ話を同じ人に何度も話してしまったり、昔体験した出来事の前後関係がはっきりしなくなったりすることだ。これは、時と場所という文脈情報を伴った記憶(エピソード記憶)の衰えで説明される。

ぜひ人に伝えたい面白い情報があるのだが、はたして特定のこの人に伝えたかどうか思い出せない。だから、相手が内心うんざりしているのも気づかずに、同じ話をしてしまうことになる。しかし、考えてみれば、文脈情報は失われても、本体の情報の方までは忘れていないわけだ。それが失われたら、同じ話をすることすらできなくなるだろう。

この本が有益なのは、加齢による衰えが見られるのは、記憶の特定の分野であると教えてくれるところだ。それは、今あげた「短期記憶」と「エピソード記憶」であり、それ以外の分野、「意味記憶」(知識の記憶)、「プライミング」(知識のネットワーク)、「手続き記憶」(技能の記憶)では、目だった衰えは見られないとのこと。

今やったことを思い出せなかったり、出来事の前後関係を忘れたりすることはインパクトがあるので、まるで記憶全体がダメになったような印象を与える。しかし、しっかり働き続ける部分もあるのだから、安心しなさいと励まされたように思える。

たとえば、こんな風にブログを書くことができるのは、今までの知識や体験の潜在的なネットワークを、新たな出来事と結び付けて、あたらしい発見や納得を付け加えるという作業を行っているからだろう。また、文章を書くという技能を実践しつつ、少しでもそれを上達させているということでもあるだろう。

この二点については、加齢による記憶の低下を言い訳にすることはできないわけである。ちょっと安心したような、それはそれでしんどいような。