大井川通信

大井川あたりの事ども

「阿蘇の灯」の語り部から聞く

三年前の熊本大地震による阿蘇の被災地でのフィールドワークに参加した。

当時は、熊本城の被害がクローズアップされたが、僕には、阿蘇訪問時によく使っていた阿蘇大橋の崩落が衝撃的だった。その近くに下宿する東海大の学生がアパートの倒壊で亡くなり、たまたま車を出した学生が橋の崩落に巻き込まれて行方不明となったというニュースが強く印象に残った。

まず東海大農学部の敷地内で、職員の方の説明を聞く。武道館や京都タワーで有名な建築家山田守(1894-1966)の設計した一号館は、東海大のシンボルともいえるY字型の独特の形状で、京都タワーを思わせるような塔が中心にそびえている。これが長い階段の先の高台の上にあって、シンボルとしての効果はすばらしかったはずだ。しかし、無残にも校舎の中心に活断層による地割れが走り、壊滅的な被害を受けている。被災建物として保存の動きがあるというのはせめてもの救いだ。ただし、大学のこの場所での再建は難しく、すでに他所に移転しており、実習地としてのみ残ることになるそうだ。

高台の下の集落には、何十棟もの小規模なアパートがあって、800人もの学生が暮らしていた。周囲は農地と自然ばかりでお店もほとんどないような場所だ。学生同士、また地元の大家さんと学生とのつながりはとても親密なものだったという。このコミュニティのおかげで、迅速な救出活動などを協力して行えたのだと教わる。

アパートが倒壊した現場や崩落した阿蘇大橋には、東海大の学生さんたちが案内してくれて、被災当時の様子を聞いた。「阿蘇の灯(あかり)」という学生グループで、災害の語り部活動とともに、かつて学生が住んだこの地域との交流を続けているという。入学したての4月に地震にあい、たまたま二階の友人の部屋に避難していたから助かったものの、自分の一階の部屋は押しつぶされていたという体験談も聞く。

ふつう語り部というと、高齢の方だったり、地元の住民だったりする。若い学生というのがとても新鮮だった。

もちろん被災の話がメインなのだが、本当に伝えたいのは、かつてこの土地にあった学生と地元の人とのコミュニティの存在のことなのかもしれない、という気がした。それは震災によって失われてしまったが、若い学生たちにとってこの土地での生活は濃密でかけがえのないものだったはずだ。先輩たちから続く地域での共同の記憶を残していきたい、という思いには胸をうたれた。