大井川通信

大井川あたりの事ども

「なんもかんもたいへん」のおじさんとしんみり話す

黄金市場を二カ月ぶりに訪ねる。日曜日のためか、ほとんどの店がシャッターを下ろしていて、平日の活気がない。後で聞くと、大通りをはさんだ古くからあるスーパーが年度末で閉店してしまったのも影響が大きいという。何割もお客さんが減ったらしい。何でも品ぞろえのあるスーパーとセットで市場は利用されていたのだ。

あんたを待っていたのだと、おじさんがいう。地元の醤油屋のドレッシングの手土産を渡して、客足がないので、僕も地べたにしゃがんで話をきく。

おじさんの話はこうだ。一年ばかり「店」を手伝ってくれるお客さんがいた。60歳過ぎくらいの「ねえさん」だという。亡くなった父親にできなかった親孝行のつもりだといって、ほとんど毎日、自転車でやってきて、夕方から夜まで無償で店番の手伝いをしてくれたそうだ。お菓子や納豆も仕入れて店に並べてくれたが、それもよく売れたという。その人が二カ月前に、明日も来るね、と言い残したまま、ふっつりと来なくなった。

はじめは少し体調が悪いのだろうくらいに思っていたが、だんだん心配になる。わずかだが借りたままのお金もある。けがや病気かもしれない。名前は名乗らなかったが、自宅の近くの様子や取っている新聞、通院先の病院など世間話で出ていた。それらを手掛かりに、なんとか探しているところなのだという。個人情報に厳しい時代でもあり、なかなか難しそうだ。しかし80代半ばになって、かけてもらった人情の味は格別だったにちがいない。ときどき涙ぐみながら話してくれる。

競輪に夢中になって、家業の花屋の仕入れにも困った話。八年前に長男を病気で亡くした話。娘さんが花屋を継いで親孝行をしてくれている話。市場で閉店した知り合いから店を借りられるかもしれない話。そうしたら、路地の道端にザルを並べずに、店を構えて営業ができるようになる。僕は、「ねえさん」の消息がわかること、店の話がうまくいくことを祈りながら、しびれた足を伸ばして、おじさんと別れた。

昭和の市場の雰囲気や、おじさんの「なんもかんも大変」という口上を楽しむことからかけ離れて、だいぶしんみりしてしまったが、これも名もなき市井の人間同志の交流という僕の方法だと考えて、ひとり納得する。

市場の入り口の派手な店構えの東洋軒というラーメン屋があるので入って見る。あとから調べると、偶然この土地の名店だったらしい。なるほどまろやかな豚骨スープと、少し太めの柔らかい麺で、この地域の定番ラーメンといった感じだ。さらに、黄金市場周辺で俳優の草刈正雄が少年期を過ごし、東洋軒でもラーメンをよく食べていたという情報をネットで見つけて、ぐっと気持ちが高まる。

無名人を気取ってはいるものの、やっぱり有名人には弱いのだ。