大井川通信

大井川あたりの事ども

「自分自身の身体を使って、身の丈に合ったものを運ぶという、ヒトの原点にあったはずのつつましさを思い出すこと」

『〈運ぶヒト〉の人類学』(川田順造  2014)の末尾の文章から。岩波新書でも活字が大きく薄い本だが、碩学の深い経験と知見が盛り込まれて、読みごたえがある。

著者川田順造(1934-)は、「文化の三角測量」という方法をとる。全く関連がないかに見える三つの文化を比較することで、文化の隠れた意味を発見する方法だという。著者の場合、日本とフランス、アフリカの伝統社会が、その三つの文化となる。

著者は調査や文献によって、「運ぶ」という身体技法を問い訪ねていく。僕は、「頭上運搬」というものが、世界的にみると一般的なものであることに驚いた。また「前頭帯運搬」という運び方があることも知った。中学生の頃、学生カバンの肩紐をおでこにかけて、カバンを背中に背負うようにしてふざけたことがあるが、あれが人類の立派な運搬方法の一つだったのだ。

著者は、文化の三角測量に基づき、人類の技術文化を三つのグループに分けている。それらはおおざっぱに言って、ヨーロッパの白人と、アジアの黄人(モンゴロイド)、アフリカの黒人とによってそれぞれ担われるものだ。

Aグループ(白人)は、「道具の脱人間化」としてとらえられ、人間の巧みさに依存せずに、誰でも同じ結果が得られるように道具を工夫し、人力以外のエネルギーをできるだけ利用し大きな結果を得ようという指向性をもつ。

Bグループ(黄人)は、「道具の人間化」としてとらえられ、人間の巧みさによって単純な道具を多機能に使いこなし、良い結果を得るために人力を惜しみなく投入するという指向性をもつ。

Cグループ(黒人)は、「人間の道具化」としてとらえられ、頭上運搬をはじめとして、身体の一部をあたかも道具であるかのように使い、自然の猛威の前で、与えられた状況を最大限に活用するという指向性をもつ。

本書にもあるが、日本の船の櫓(ろ)や食卓の箸は、単純な道具だが、それを使いこなすのは難しい。僕は今でも正しく箸を使えないのだ。また、良いものを作るのに人手を惜しまないという価値観があることからも、Bグループの説明が正鵠を得ているのがわかる。

著者の視野は広大で、数多くの実例や資料を参照して、説得力がある。大井川流域の定点観測だけの僕が、それに張り合うことなどできないが、少なくとも学ぶことはできるだろう。

人間がただ歩くことを目的にし始めたのは、近年の健康志向やウォーキングブームの影響にちがいない。本来、何かを運ぶことなしに歩くことなど、まれだったはずだ。これからは「運ぶ」を意識しつつ、大井川流域を歩くことにしよう。