大井川通信

大井川あたりの事ども

「夢であった、―すべてが夢であった。どこに夢でない真実があるのか」

田宮虎彦(1911-1988)の小説「足摺岬」(1949)の末尾の文章。

昭和の初め、病に侵され大学を中退し足摺岬に死に場所を求めてきた「私」は、死にきれずに、遍路を泊める宿で、女将たちの介抱を受ける。80歳を過ぎた老遍路は戊辰戦争の生き残りで、薬を無償で施してくれた薬売りとともに、相部屋で「私」を見守る。

やがて東京に戻った「私」は、遍路宿の娘を妻に迎え入れるが、戦争中の困窮した暮らしで彼女を亡くしてしまう。戦争が終わり、足摺岬に妻の墓参りに訪れるが、そこには、年老いた義母と、特攻隊帰りで酒におぼれる義弟の姿があった。

明治維新と、第二次世界大戦という二つの没落の体験を背景にして、現実の荒波に翻弄される個人の生と死を、哀切な文体でつづっている。

数十年ぶりに読んだが、耳に残って離れない末尾の言葉の鮮烈な響きは、失われていなかった。