大井川通信

大井川あたりの事ども

『濹東奇譚』 永井荷風 1937

読書会の課題図書だが、僕には思い出深い小説。手元には父親の形見の初版本の復刻版がある。

「濹東奇譚はここに筆を擱くべきであろう。然しながら若しここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年或は一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素人になっているお雪と廻り逢う一節を書き添えればよいであろう」

大正13年生まれの父親が愛読して、この末尾の部分の前後をよく朗読していたのが耳にこびりついている。後年は堅物だった父親だが、玉の井の私娼との交流の物語のどこにそんなに魅了されたのだろうか。
新と旧、明と暗、権力と大衆等々の二項対立が力をもつようになった時代において、反時代的に徹底して後者(弱者)の側を選び取り、それを古風だけれども知的に洗練された文体で表現する手法が、魅力的だったのだろうと思う。
僕の学生の頃、デビューまもなくの村上春樹の『風の歌を聴け』(1979)を暗唱している友人がいた。反権力などの意味に憑かれた世相に対して、あえて無意味の側をスタイリッシュに表現する文体がとても新鮮だったのだ。突飛な連想かもしれないが、『濹東奇譚』とは、反時代的で知的な文体の魅力という点で共通しているのかもしれない。

ところで、この小説の原稿を書き上げた昭和11年には、荷風は57歳で、今の僕と同じ年齢だ。

荷風は明治と大正の時代の違いにこだわるが、荷風が明治の終焉を迎えたのが33歳の時だから、僕が昭和の終わりを体験した38歳とそう変わらない。また、東京の景観を一変させた関東大震災は、執筆の13年前。今から13年前なら、小泉郵政改革など新自由主義が大手を振るい出した頃だ。

近代化の渦中にあった当時の時代の変化のスピードが、今と比べて遜色ないことが、こんな単純な比較によっても実感できる。