大井川通信

大井川あたりの事ども

文芸評論の時代

少し前に、文芸評論について、こんな記事を書いた。

かつて日本に文芸評論の時代というべきものがあって、彼らが最前線の思想家として、ふるまっていたこと。その理由は、日本人は抽象語による思考が苦手で、現実や生活から遊離したものとなってしまうので、小説という具体的なエピソードに基づいて思考する文芸評論家が、日本社会の全体を深く考える上で優位に立っていたから、というものだった。

文芸評論家が輝かしい職業だった時代は、おそらく1970年代までだろう。その威光が残っていたのは、せいぜい冷戦の終結バブル崩壊の90年前後くらいまでだった気がする。これは文芸評論だけでなく、他の分野の評論家たちにも言えることかもしれない。

テレビのバラエティで、いろんな分野の評論家を集め、芸能人相手にアドバイスをさせて楽しむという番組があるが、今や評論家は、一風変わったキャラや話題を売りにするネタ元にすぎなくなった。

評論家の知的な権威が崩れた経緯には、おそらく様々な背景があるだろう。あらゆる知的なヒエラルキーや秩序があいまいになるポストモダンという時代が訪れたこと。大衆の時代となり、個々人が消費の主体としての力を蓄え、自ら発信できるような情報環境が整備されたこと。

ともあれ、僕は、まだ文芸評論が知的な権威のある時代に本を読みはじめたことになる。小説の文庫本には名だたる文芸評論家や文学研究者が解説を書いていて、それを読むのが好きだったから、自然と解説の充実した旺文社文庫などを好むようになった。やがて、岡庭昇や柄谷行人の著作を通じて、小説を様々な角度で思想的に読むことの可能性を知ることになる。

僕の中の文芸評論のブームはすぐに終わってしまい、むしろ思想そのものを評論する本をよむようになった。当時のニューアカデミズムのブームに、僕も追い付いたのだ。

こんなことを振り返ったのは、ここ二年ばかり、ある読書会に参加して、若い世代の人たちと小説を読みあうようになったからだ。自らの好悪や感性、経験をぶつけて読む姿は好ましい。僕も、参加者と切磋琢磨するように、久しぶりに小説と向き合うようになった。

その中で、近ごろようやく彼我の違いに気づくようになった。初めは単なる世代差かと思っていたが、そうではなく、いわば「文芸評論」の経験の有無なのだ。自分と作品との間に、適切な解読装置をさしはさんで読む、という手法は、おそらく文芸評論を読むことを通じてしか身につかないものなのだ。近頃は、文庫本解説も芸能人のエッセイになったりしている。

この話を月例の勉強会で吉田さんに話すと、おおいに共感してくれた。吉田さんは、大量の映画評論を読み、そのコレクションを持っている。もはや映画の紹介文以外の映画評論など読まなくなった若い世代とのギャップを痛感しているようだった。

この評論の時代の経験は、今ではあまり顧みられることはないけれども、僕たちの世代のアドバンテージとして活かすことができるかもしれない、というのが勉強会当夜の結論となった。