大井川通信

大井川あたりの事ども

転職問答

A:転職を考えているようだけど、君の知り合いで転職した人の情報は集めているの?成功例とか失敗例とかを聞けば参考になるかもよ。

B:自分のやりたいことがあって転職した人は、だいたいうまく行っているみたいだ。そうでない人の転職後の話はあまり入ってこないね。

A:「やりたいこと」って、キーワードっぽいな。自分の望む仕事への転職なら、多少の難点があっても自分なりに納得できる。周りからの理解も得やすい。単なる条件面やその場での思い付きで転職しても、新たな不満や問題を抱え込んだら、結局振り出しに戻るだけだよ。結果、転職をくりかえすことになる。

B:いろんな仕事を食い散らかしても、そこに軸がなければ、経験の蓄積ができないし、専門性も身につかない。気づいたらフリーターから抜け出せなかったりするかもしれない。しかし、正直なところ、今の仕事を経験して、自分には向いていない仕事はリアルに実感できても、自分のやりたい仕事のイメージははっきりしないんだ。

A:案外それが正しいのかも。だって、近代になる前は、人類に職業選択の自由なんて基本的にはなかった。それまで何千年、何万年も共同体が用意する仕事を、運命みたいに引き受けるしかなかったのだから。そういうメンタリティが圧倒的に強いはずだから、誰でも一皮むけば、君みたいなものだと思うよ。

B:なるほど。近代がいったん職業と人との必然的な結びつきを切り離してしまったというわけだね。近代では利潤を求める競争が支配的な原理になる。個々の人間からすれば、やりたいことという目標をもとに、長期ビジョンや計画を立て、日々モチベーションをもって仕事をすることで、より多くの見返りを期待することができる。

A:そのとおり。だから、この社会で上手に生きていこうとすれば、本音ベースでやりたいことがはっきりしないなどといわずに、ウソにもやりたいことをでっち上げないといけない。そこに軸をおかないといけない。

B:僕の場合は、何をやりたいかについての自己暗示や自己催眠が必要になるのかな。

A:うん。言葉は悪いが、多くの人はそれを無意識にも実践していると思うよ。ただ、やりたいことの素材は、君の中にすでに蓄積されているものを使えるし、使ったほうがいいわけだ。車にしろ、ITにしろ、ファッションにしろ、本にしろ、長く興味を持ってきたものがあるなら、知識や経験のストックがあるわけだし、実際にモチベーションもつくりやすい。

B:でも、好きなことや趣味と仕事は別にしたほうがいい、という格言もある。

A:今話しているのは、自分が心から楽しむ趣味(消費)の話ではなくて、自分が何を軸として働いたらいいかというジャンル(生産)の話だよ。その場合、今あるアドバンテージは、徹底的に使うべきだと思う。

B:今思いついたけど、英語公用化論に対して、本当に生産的な思考ができるのは母国語だけだから、それを捨ててはいけない、という批判があったね。長く使いこなしてきて、文化的に豊かな背景を持つ母国語だからこそ、あらたな発想や価値の創造に貢献することができる。今の話はこの議論に似ているところがないかな。

A:なるほどね。転職に際しては、流行やだれかの口まねではなく、自分の中の「母国語」を見つけ、それを育てる方向を指針にすべし、というのを今日の結論にしようか。