大井川通信

大井川あたりの事ども

『ケーキの切れない非行少年たち』 宮口幸治 2019

著者は、公立精神科病院で児童精神科医として勤務していたが、発達障害や知的障害をもち様々な問題行動を引きおこす子どもたちに対して、対症療法以外の支援方法を見いだせずに悶々とした日を過ごしたという。藁にもすがる思いで病院をやめ、支援のヒントを得るために医療少年院に赴任したという。そこでの勤務経験に基づく支援方法が本書では具体的に書かれている。

児童・青年のことは一通りわかったつもりになっていたが「少年院に来てみて実はまだ殆ど何も知らなかったことに」気づいたそうだ。実に率直な告白で、世の中には立派なお医者さんがいるものだと感心した。現在、あらためて次男の知的障害に向き合ってる僕には、多くのヒントとなる指摘があった。

 

・非行少年たちは養育環境にめぐまれず、親が発達上の問題に気づいて病院に連れて行くことがない。非行を犯し、司法の手に委ねられてから初めて医療上の見立てがなされる。

認知行動療法に基づくソーシャルスキルレーニングは、考え方を変えることによって行動を修正する方法だが、そもそも基礎的な認知機能(考える力)に問題があれば、効果をあげることができない。欧米の新しい心理治療法のプログラムを、日本の文化や価値観とは無関係に実施する弊害もある。

・認知機能の強化のためのトレーニングであるコグトレは、誰にでも取り組みやすいもので、学習面だけでなく、社会面(対人スキル、感情コントロール、問題解決力)や身体面(身体的不器用さ)での支援にも役立つ。

・学校教育で流行している「ほめる教育」「自尊感情の向上」は、本当に困っている子どもには役立たない。学習の土台となる基礎的な認知能力をアセスメントして、そこに弱さにある子どもにトレーニングさせ、社会面での支援を系統的に行う必要がある。

・学校現場では、発達障害の勉強が進んでいても知的障害に対する関心がうすい。知的障害自体は病院の治療対象ではないため、支援が必要なのに気づかれていない知的障害者(軽度や境界知能)はかなり多い。

・「子どもの心に扉があるとすれば,その取っ手は内側にしかついていない」

 

ただし、おそらく編集部のつけただろうキャッチ-な書名だけは、誤解を招きやすいもので注意が必要だ。

実際に少年にだされた問題は、丸い円の図形をケーキに見立てて、それを三等分するためには、どのようにナイフをいれたらいいか線をひきなさい、というものだ。これが上手くできない非行少年の回答について、「すべてがゆがんで見えている」とまるで驚くべきことのように帯で強調されている。

これは驚く方がおかしいと思う。円の面積を三等分する図形の問題として考えると、これはかなり難しい。やさしく思えるのは、ケーキのヒントがあるからだ。しかしこれがヒントになるのは、誕生日やパーティーでホールケーキを買ってきて、それを切り分けて食べるという経験をもっているからだろう。非行少年たちにそのような幸せな家庭の経験がなかったとしたら、それは何のヒントにもならないはずだ。

 少なくともこの問題に解答に関する限り、基礎的な認知能力の不足ではなく、体験の不足を示しているのだと思う。