大井川通信

大井川あたりの事ども

「障害者」という言葉

近頃は、どんな人の話も、自分の身の丈でしか聞けなくなったような気がする。その人の身から出た言葉を、自分の身に置き換えて聞く、というようにだ。昔は、もう少し言葉や思想をそれ自体として受け取っていたような気がするのだが、よく思い出せない。おそらく広い意味での老化による「身体帰り」のためだろうから、よしとしよう。

たまたま機会があって、DPI日本会議の議長の平野みどりさんの講演を聞いた。障害当事者による社会参加の拡大と平等を目指した世界的なNGOの日本支部の代表の人だ。

1958年生まれというから、僕より三つだけ年長だ。熊本出身で津田塾大に通ったというから、僕の高校3年間と大学1年間は同じ多摩地区のすぐ近くで暮らしたことになる。熊本に戻り就職。職場で受けた息苦しい男女差別の経験が、彼女の原点だ。たしかに、あのころの職場には、パワハラはもちろん、セクハラなんて言葉もなかった。

30歳の時に病気で両下肢麻痺となるが、ダスキンの障害者リーダー派遣研修で二年間アメリカで学んだことが彼女の転機となる。企業の社会貢献もしっかり役に立っているのだ。家では妻がダスキンの換気扇掃除を毎回頼んでいて、無駄に思えたのだが、続けてもいい気になる。

帰国後、障害者の自立支援センターを熊本で立ち上げて活動を開始。アメリカで知った「Be political(政治的であれ)」という言葉を支えに、熊本県議を四期務めたあと、5年前に現職につく。

僕は、彼女が熊本で働き始めたころ、多摩地区で創成期の障害者自立生活運動に出会った。いったん就職に失敗して、彼女が障害当時者の運動を始めた頃、再就職で今の土地に越して今の仕事を選ぶ。もし何か別のことを始めるチャンスがあればその時だったが、僕は平凡な暮らしと家庭を迷いなく選んだ。

そのあと、同和問題にいくらかかかわりをもったが、しょせんは傍観者的だ。若いころ批評家たちから学んで、生活の中でのミクロポリティックス(小さな政治)を標榜していたが、今となっては心もとない。

平野さんの話は分かりやすく、80年代には萌芽としてあった課題がどんな風に進み、どんな問題が残っているかを、教えられるものだった。実践家らしく、ざっくばらんでオープンな態度で、生きた言葉を投げかけてくる。

「障害者」という言葉について、表記の問題(障碍、障がい)はともかくとして、運動や法律等の文書の中で「障害者」を使うのはOK。しかし面と向かってあなた「障害者」ねというのは失礼だからダメよ、とはっきり言ったのは新鮮に聞こえた。

僕が学生のころから気になっていたことで、核心をつく指摘だと思う。人間をひとくくりにする言葉は、社会生活の上で使うのはやむを得なくても、一対一の関係の中ではふさわしいものではないのだ。