大井川通信

大井川あたりの事ども

本の読み方・本との戦い方

読書会の課題図書の小説『輝ける闇』をさっさと読み切って、期限の迫ったレポートを手早く書き上げた上で、腑に落ちないところを考え込んだ。それで翌日の会には、何とか自分なりの読みを持ち込むことができた。その少し前に別の読書会で読んだ評論系の『急に具合が悪くなる』についても、同じような過程をたどった。

この二つの本の読書で、自分が無意識にとっている読書法について、少し自覚的になれた気がする。それをメモしておこう。

まず、本を読み始めてかなり早い段階で、その本が良いか悪いか、プラスなのかマイナスかの評価を仮に決めてしまう。優れたポイントがいくつか続けば、肯定評価になるし、違和感を抱くポイントが続けば、否定評価になる。今回の二著は、後者だった。

以後は、読み進めながら、肯定・否定の仮説を検証していく作業になる。たとえば、早めに否定の判断ができれば、それ以降、いっそう深く否定の要素を探ることができるし、自分の仮の判断を裏切る肯定の要素が出てくれば、早めに仮説を修正できる。ただし、実際に初めの判断を覆されることはほとんど無いような気がする。

そうすると、読了後には、評価の根拠が出そろうことになるから、それらをつなげるだけで、一定の批評ができあがる。『輝ける闇』では、過剰な比喩の羅列や時代の制約を感じさせる価値観だ。『急に具合が悪くなる』では、学問への過剰な要求に反する現実との乖離というあたりになる。

すると次に問われるのは、この過剰なるがゆえの失調(肯定評価の場合は、成功)はなぜ生じたのか、という点だ。これは本を離れて、頭の残った書物の諸要素を手に取りながら、自分の知識や経験を総動員して、答えを見つけ出していくことになる。

この時本を読み返すことはめったにない。本には無限なくらい豊かな細部がある。それにとらわれることは、作者の術中にはまることだ。作者の首根っこをつかまえるためには、少数の要素にしぼって、戦いを挑まないといけない。

こうして、『輝ける闇』では、ベトナム戦争の「聖性」に対応するための文体という答え、『急に具合が悪くなる』では、学問の地盤である生活への無自覚という答えに思い至ることになる。どこまで当たっているかはともかくとして、肯定/否定を入口として、書物の本質を問題にする地層まで掘り進めたことになる。

読書会には、読みの強者もいる。ここまで読みを作っておくと、読みの方向がちがっても議論にはなるし、ただ単にバッサリ切られてしまうということは避けることができるようだ。