大井川通信

大井川あたりの事ども

物言えば唇寒し秋の風

芭蕉の句から転じて、人の悪口(自分の自慢)を言えば後味の悪い思いをするというたとえや、余計なことをいえば災いを招くというたとえで使われる、と辞書にはある。

僕は以前から、苦い思いでこの言葉をかみしめることが多かった。現に今日もそうだ。ただその時の感覚のニュアンスは、辞書の説明とはちょっと違う。

人の悪口も自分の自慢も、その時は得意になって話しているのだ。あとで虚しくなったり、後ろめたく思っても、十分モトはとっている。ついうっかり余計なことを言って、それが自分に不利に作用してしまったら、ひたすら後悔や反省をするしかない。

僕が、ふだん困るのは、そんなことではない気がする。会議の席で、何か発言しないといけない空気になっているとき、自分なりにいい思い付きが浮かんだ気になって、調子よく発言してみる。

そんなときあまり手ごたえがなかったり、すこし微妙な空気になってしまったりすることがよくあるのだ。無防備に自分の姿や言葉をさらしたあとだけに、まさに冷や水を浴びせられたような気になってしまう。本当は、唇がさむいどころではないのだ。

しかし考えてみると、唇は、言葉を話すのになくてはならなくて、しかもとても柔らかくて繊細な部位だ。理屈だけの句に見えて、口をつぐんだあとに我にかえり外気の冷たさを唇に感じるという観察は筋が通っている。さすが芭蕉