大井川通信

大井川あたりの事ども

泉水をぬけて

次男が週末風邪をひいてしまって、月曜日会社を休んだ。夕方施設長さんから携帯に電話がかかってきて、次男が話をしているのを小耳にはさむと、だいぶ良くなったから明日は大丈夫です、と答えている。

まだだいぶ咳がでているのに。次男は正直で駆け引きができないし、どんなときも大丈夫だと言ってしまいがちだ。人に弱みをみせたくないという気持ちが強いのだろう。それだけでなく、仕事上の責任感があるということにもあとで気づいた。

それで、今日は、無理して会社に行った次男を、夕方車で迎えにいくことにした。電車を乗り継いで帰らせるのはしのびなかったのだ。次男は車に乗り込むと、昨日休んだぶん、お年寄りのお風呂の手伝いの仕事がたまっていて、大変だったという。お客さん(お年寄り)相手では、のどが痛くても大きな声を出さなくてはいけないし、咳も出せないからのみこんで気持ち悪くなったという。疲れたのか、そのまますぐに寝てしまった。

次男の会社から自宅に戻るには、隣町の山間の街道を通ることになる。ここには、かつて炭鉱がひしめいていて、上野英信が炭鉱のルポルタージュを発信していた筑豊文庫の跡もすぐ道沿いにある。

泉水という小さな交差点を通りすぎる。「泉水地区には鉢の巣のように多くの小ヤマがある」と紹介されていた場所だ。横暴な中小炭鉱の劣悪な環境と、そこで働かざるを得なかった渡り坑夫たちの命からがらの生活の描写が、思い起こされる。ほんの60年前の現実だ。

僕たちの生活はずいぶん平穏で安定しているように見えて、やはり「板子一枚下は地獄」という現実は、変わっていないような気がする。それは社会や制度の問題というより、もっと人間や生命の本質に根差した運命であるような気もする。

暗い道を、ヘッドライトに導かれるように走りながら、僕たち親子はこの先どこへ行くのかと不安になる。とにかく行けるところまで、できる範囲でやっていくしかないのだろう。