大井川通信

大井川あたりの事ども

次男の子育て(中学校時代)

いよいよワタルもブレザーの制服を着て、中学に通うようになる。

小学校までは、1キロ弱だったが、中学までは2キロ以上の道のりで、自転車通学が認められていた。長男は幼稚園時代から自転車を乗り回していたが、ワタルは友だちと遊びまわる機会もなかったから、自転車に乗れなかった。小学5年生の頃から、近所の広い公園に連れて行って、少しづつ練習させるようにした。初めの頃は、乗りなれない固い姿勢で自転車を走らせるワタルの姿を、心配して見送っていた記憶がある。

特別支援学級の一年生と二年生はマルノ先生、三年生はカワグチ先生の担任で、本当に親身に育ててもらったと思う。言葉についての独特のセンスはこのころから芽を出して、「私流枕草子」の作品では、全校配布の校長だよりで取り上げられたりした。

「春はここちよい/草むらで寝/ウグイスが鳴き/みだれ桜あはれなり・・・」

高学年になると、少人数の学級に対する責任感や、先生への気遣い、後輩へのリーダーシップが発揮されるようになったのは驚いた。小学生の時はまるでなかったものだ。学級の後輩女子から慕われたりして、第二のモテキとなった。

もちろん、交流学級では母親の書いた手紙が教材になったりして、いろいろなトラブルやあつれきは抱えていたはずだが、中学はワタルがかなり優等生の時代だった。

卒業式の日には、式のあとの教室で、学級でただ一人の卒業生であるワタルを取り囲んで、関わりのあった10人ほどの先生から、一言ずつあたたかい言葉をいただく。ワタルも立派にお礼の言葉をかえす。

家族全員でその場に立ち会って、思い出深い区切りの一日となった。子どもへの思いやりと熱意を持った無名の先生たちの尊さを思い知った日でもあった。