大井川通信

大井川あたりの事ども

イノシシの伯父さんへ

伯父さんとお別れしてから、もう20年近くが経とうとしています。昨年に母が亡くなり、国立の家で暮らしていた二組の夫婦の全員が、この世を去ったことになります。二家族の子どもたちも、全員還暦前後となりました。

姉も実家を従兄にゆずることを決め、僕もようやく本籍を九州に移す気持ちになれました。幸い、従兄たちとも関係は良好で、そんな話もスムースにまとまりそうです。Kさんとは今でも、演劇や文学の話を何時間でもできる間柄ですし、おそらくおじさんが一番気がかりなはずのAさんとも、これからもできるだけ会う機会をつくろうと思っています。

戦中派である伯父さんたちが活躍した時代から、世の中はさらに加速度をつけて変わっていっています。ネットやスマホなどの情報技術の発展が目覚ましく、それとともに世の中の価値観も大きく変貌しています。

伯父さんの時代に輝かしかった「左翼」は、「サヨク」を通り越して、今では「パヨク」としてからかいや忌避の対象におちぶれてしまいました。とはいえ、人間の善意が、理念やイデオロギーとは別の形を自由にとることができる時代になったといえなくもありません。

旧時代の人間である僕も、一昨年からブログをはじめて、日常のこまごました出来事を記録にとどめるようにしています。伯父さんについてのエピソードも、いただいた短歌のことや、戦争中の林尹夫とのかかわりなど、いくつか書かせていただきました。

たしか詩人でシベリヤ抑留の体験者である石原吉郎の本にこんなエピソードがありました。シベリヤに送られる兵士たちが、なんとか自分の名前を残そうと、壁に書きつけたり、別れる人たちに記憶させたりしていたと。

僕も、この世界から離れる時をぼんやり意識するようになって、ネットという突然現れた巨大で空虚な壁面に、自分(たち)が生きた痕跡を書き込んでおきたいと思うようになったのかもしれません。

ところで、今回お話したかったのは他でもありません。20年以上前、僕の住む町でイノシシが住宅街を走ったり、電車にぶつかって止めたりしたことが全国ニュースになり、伯父さんがそれをとても面白がったことがありましたね。それ以来、僕の家族の間では、あなたをイノシシの伯父さんと呼ぶようになりました。根っからの江戸っ子である伯父さんは、イノシシが住宅街に出没する田舎というのがそれだけでおかしかったのでしょう。

今日の全国ニュースで、イノシシが国立駅の近くを駆け抜ける映像が流れていました。アーバンイノシシなんて言葉まで作られたようですが、おそらくこの世界は深部から大きな変更を強いられているような気がします。このニュースを知ったら、伯父さんは、いったいどんな顔をするでしょうか。

僕は、この世界の先行きをもう少しだけ見届けてから、伯父さんを訪ねようと思います。それでは。